(2020.6.06 加筆・修正)
生まれてくる子どもの体は、お父さんとお母さんの遺伝子です。でも、魂は違います。あの世から、お父さんとお母さんを選んでやってきます。『生まれてきてくれてありがとう』っていう絵本にもそのように描かれています。だからというわけではありませんが、まあ、間違いないでしょう。
そして、その魂はおおよそ3歳までにたくさんの愛情エネルギーをもらって、その愛情エネルギーは百歳まで影響を与えると、「三つ子の魂百まで」という諺は言っています。ですから、まあ、間違いないでしょう。多くの育児書にも3歳までが重要であるという一致した見解に至っていますし。
お母さんとお父さんが正しい順番
さて、ここからが本題です。育児は、お母さんが育てても、お父さんが育てても同じなのでしょうか? このことについて、論理的に考えてみます。
行政なのか、組合なのか、世の流れなのか、正体はつかめていませんが、男性も育児休暇を取りましょうということを一部で言っています。そうすると、育児の大変さがわかるし、女性は助かるし、男女共同参画社会のためにも良いのではないかということだと思うのですが、子どもにとっては同じなのでしょうか?という問いです。
ごくおおざっぱに言えば、お母さんは母性。お父さんは父性の持ち主です。
母性と父性、その両方を持ち合わせている凄い人もいたり、お母さんが父性でお父さんが母性という場合もありますが、出産という大事業を考えると、多くの場合はお母さんが母性の持ち主でよいでしょう。
母性とは、ごく簡単に言うと、受容の愛情(慈愛)です。
父性とは、ごく簡単に言うと、社会にむけた条件付の愛情(厳しさ)です。
で、乳幼児期にある赤ちゃんから幼児にかけて、必要なのは母性です。母性に育まれ、子ども達がすくすくと育ち、やがて父性が必要になってきます。母性が先で、父性が後です。
ですから、男性が育児休暇を取ることで、女性は助かるかもしれませんし、お互いに育児の苦労みたいなのが分かって良いかもしれませんし、それによって家庭円満になって良いことかもしれませんが、母性が必要な小さな子どもにとっては、お父さんがいつもいて、お母さんが夕方以降に帰って来るというのは、「迷惑だ」というのが私の至った結論です。
だって、赤ちゃんも幼児も、どうやったって、お母さんが恋しいのですから。お父さんはお母さんには勝てません。もう、絶対に勝てないのです。勝負しているわけではないけど、かなわないのです。
今、小学校の現場は・・・
子ども達が明らかに変わってきました。授業中立ち歩いたり、授業に参加できなかったり、情緒不安定です。
その原因は「愛着の不足にある」というのが私の実感です。子ども達に関わると、どの子も「もっと私を見て!」という表情をしていますから。教師に母性を求めているのです。それは得られて当然である時期に不足していたために起こる現象です。
ところが基本的に学校は「父性の場」なのです。社会に向けて教育が行われているのですから当然です。だから学校の規則があり、学級ルールがあり、たとえ嫌でも授業が始まったら、子ども達は勉強しなくてはならないのです。
父性の場である学校において子ども達が生き生きと過ごせるのは、家庭という母性の場が保証されてるからです。
ところが私の見たところ、この家庭における母性の場が昔よりも不安定になってきています。これは男性の育児休暇が原因ではありません。このお話のタイトルは「男性の育児休暇」になっていますが、それは今からお話しすることのきっかけです。
私が教育現場で感じる危機感は、お母さんが育児をしていても母性が不足し始めているということなのです。
母性という愛情の力が現象した結果、学校現場は父性だけで子ども達を集中させることが難しくなっています。今後はさらに難しくなると予想しています。もちろん教師自体の力も関係しているので、教師なら自分自身の力量というものに目を向けた方が建設的です。ただ、今までのやり方で概ね良好だったとしても、母性と父性を理解しておかないと、学級経営がままならなくなってしまいます。
つまり、これからの学校は、「母性も父性も持ち合わせていないと学級経営は難しい時代に突入しつつある」というか、「もう突入しちゃってる!」というのが私の見ている教育現場の現状です。
まとめ
男性の育児休暇が原因という訳ではないのです。実数としては少数ですから。
そういうことを言いたいのではなくて、子どもの健やかな成長のためには、やっぱり母性が圧倒的に必要で、最近、それが軽視されてるような社会現象が起きているので、危険だと言いたいのです。
せめて教室で教師ができることは、母性を土台とした父性の場を生み出すことです。
それが、愛のある教室です。
・・・・・とてもとても難しいですが。