Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

禁止というルール

禁止というルール

(2020.6.15 修正)

 グランドにボールが落ちていました。休み時間に遊んだ子が、片づけなかったのでしょう。朝の職員打ち合わせで、生活部の先生からの提案がありました。

 

「何度言っても、ボールの後片付けがしっかりとされていません。今、落ちているボールは没収という形を取っています。もう一度、しっかりと片づけるように指導してほしいことと、このままでは、ボールを使うことを禁止にするということを子ども達に伝えてほしいのですが、いかがでしょうか?」

 

 誰も何も言わないので、しかたなく発言することにしました。 

「今、体育でサッカーをやっているのですが、ボールがないと、授業に支障が出ます。それでも、どんどんボールを減らしていくということですか?」

 

「何度言っても、後片付けができないようなので。ボールがなくなると困るから、片づけるようになるのでは。 他のみなさんはどう思いますか?」

 

 みんな考えている様子でしたが、発言がないので発言することにしました。 

「ボールがなくなるまで続けるのですか?」

※ちなみにボールは30個ほどあります。

  

 生活部の先生が、教頭先生に意見を求めるように顔を向けます。おそらく、なんらかの相談をあらかじめしていたのでしょう。教頭先生が発言します。

 

「ボール遊びをさせたくないということではなくて、子ども達に、ボールがなくなると、遊べなくなるということを教えるというか、困るのは自分たちだということを分かってもらう?」 

 

 歯切れが悪いですが、意味は分かります。

①ボールが無くなると、ボール遊びができなくなる。

②すると、子ども達は困る。

③困ると分かれば、ボールを片づけるように気をつける。 

 うん? 30個なくなるまで続くのかな? 

 みんな考えているようですが、発言がないので、もう、後戻りはできません。しかたなく発言します。 

 

「ボールがなくなると、困るということが前提となっていますが、子ども達は困りません。まず、ボールは全て無くなるまで続きます。そして、なくなったら別の遊びを見つけ出します。だから、ボールをどんどん減らしても、子ども達は困らず、別の遊びを見つけ出すだけです。」 

「困らない?」 

「困りません。今、学芸会の準備で体育館が使用できませんが、困ってませんから。だから、困らせたら解決するということは起こらないということを言っています。何がやりたいのですか?。ボールの放置を無くしたいのなら、今すぐ禁止すれば問題は消滅します。でも、それをやりたいのですか?」 

「・・・・・・」 

補足説明を続けます。 

「禁止というルールを作って、できないなら奪うという罰を与える事が教育的ではないということです。それでは、子ども達の活動範囲がどんどん狭まります。本当に片付けをしてほしいのなら、もうすでにやっている先生もいますが、休み時間に一緒にグランドで遊べば解決します。チャイムがなったら、落ちているボールが見えるのだから、一声かければ、片付きます。それから、何度も何度も教室で指導すればいいことです。一度でできるようになるということは起こりませんから。」

 

 本当はもう少し長い説明をしたのですが、まあ、こんなことを話しました。すると、私の発言にも反論がなかったので(本当はある人もいるとは思いますが)、もう一度教室で指導をして、様子を見ましょうということになりました。

 

禁止というルール

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 禁止というルールは、もっとも簡単です。

 指導というよりは、ルールの設定ですから。

 もちろん、禁止が必要なこともあります。

 でも、むやみに禁止を増やし続けていけば、指導者側は楽でしょうけど、学びがありません。子ども達は将来、必ず大人になります。すると、禁止という方法しか使えないという事が起こります。それをしたいのですか?ということを言いたいのです。 

 

 そもそも、グランドの様子を見る限り、ボールに触りたい子たちは、自分が触りたいから、みんなボールを持ってグランドに飛び出していきます。でも、仲間が増えるうちに、みんなで遊ぼうという状態になります。

 で、夢中になって遊びます。

 すると、夢の世界から、現実世界に戻るためのチャイムがなります。自分が持ってきたボールをグランドの隅に置いていたことをすっかり忘れ、チャイムがなったから、友達とボールで遊びながら校舎の中へ入っていきます。

 誰も「よーし、ボールを置き去りにして帰ろう。」なんて思っていません。もしかしたら、他の誰かが置き去りのボールを見かけているかもしれませんが、自分が出したボールでないのに、わざわざ取りに戻って片づけるということはしません。

 

 そうしてほしいと大人が願う気持ちは分かります。でも、朝の職員会議で、教頭先生や生活部の先生が「今朝も、ボールが落ちていたので、私たちが片づけました」と、いやいや片づけているという様子で話していたので、大人でも、教師でも、自分で出したものではないものは、いやいや片づけるというのが現実だということです。

 

 大人や教師が喜んで片づけているのなら、高学年に勧めてもいいのですが、大人や教師がいやいや片づけているものを、子どもには「自分が出したボールではなくても片づけなさい」と胸を張って教えることはできないでしょう。 

 そして、禁止を増やす度に、子ども達には「君たちは信用ならん!」と、裏メッセージを伝えていることになります。 

 子ども達に「先生を信用してほしい」と願うなら、まずは先生たちが子ども達を信用しなければうまくいきません。もう、当たり前のことです。 

 

 その日のグランドには、子ども達と遊ぶ先生達の姿があり、

 そして、放課後はボールが1つも落ちていませんでした。

 続くといいなあ~。