Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

理解しようとしないかぎり理解できない

理解しようとする


 今回は、久しぶりに学級経営のお話です。学級経営の方針には、大きく分けて2種類あります。1つは「統率型」 もう1つは「解放型」です。 

 大きく分けてということですから、完全に分かれている訳ではなくて、どちらかに寄っているということです。

 

1 統率型

 ごくごく簡単に言うと、きちんとした教室です。

 善と悪がはっきりしていて、善が推奨され、悪は叱られます。

 子ども達が安全なクラス、秩序のある学級になります。

 教師の叱るという技術に支えられています。

 または、正しいことを語るという技術かもしれません。

 極めていくと、理想は「先生が設定し」、そこに向けて子ども達を先導していくような感じです。

 

2 解放型

 ごくごく簡単に言うと、自由度の高い教室です。

 善と悪はあまりなく、叱られることも少ないです。

 失敗すると、すぐに学級崩壊になりますが、成功すると楽しい教室になります。

 教師の子ども達を正しく見取る力や、統率する力に支えられています。

 極めていくと、理想は「子ども達が決める姿」であり、子ども達が向かおうとする姿を後押しするような感じです。

 

どちらが良いのか?

 私個人の考えになりますが、どちらでもかまいません。

 極めれば、子ども達を導くのか、後押しするのかの違いはありますが、

 どちらでも子ども達を成長させることができますから。

 また、その中間ぐらいというのも良いと思います。

 さらに言えば、両方を経験して、あとは子ども達が将来、自分で何が良いのかを決められると良いかな~?と。

 

 ただし、解放型の方が難しいです。

 ある程度解放させても、統率できる力がなければ、即、学級崩壊します。

 ですから、順序としては、しっかり統率できる「統率型」を使えるようになってから、少しずつ規則を緩め、「解放型」にしていくのがいいかな?と。

 

 それで、私のやり方は「解放型」にかなり寄っています。

 でも、統率型のことも理解していますし、認めてもいます。

 

 ところが、私のやり方は、あまり理解されないようです。

 昔から、他の先生達からは攻撃されることがありました。

 最近は減りましたが、若い頃は露骨にあったことも・・・。シクシク。

 

 

「そのようなやり方では、他のクラスに示しがつかない」とか

「あなたのクラスの間はいいかもしれないけど、あなたの後に受け持つと大変だ」とか。

「子ども達が、あなたのクラスだったことをずっと引きずってやりにくいわ」とか

「私はちっともいいとは思えない」とか。

 

 そのようなご意見は、受け取ってきたつもりです。

 受け取って、何故そのように思うのかも理解したと思われます。

 でも、理解した上で、どうするかは私が判断してきました。

 

 私が選んだのは、

 統率型を否定はしないけれど、自分は解放型を極めていくことにする。

 

 解放型は難しい。

 解放型は他の先生方に疎まれる場合がある。

 

 でも、困難な道ということなので、おそらくこの道は良い道です。

 

 そうして、困難な道を進んできた結果、解放型の本当の良さや本質についてうまく説明できるようになってきました。

 だけど、説明しても説明しても、分からない人には分かりません。

 それは、理解しようとしないからです。

 理解しようとしないのは、理解したくないからです。

 理解しちゃったら、自分のやり方を否定された気持ちになるからでしょう。

 

 でもね、私は、理解するべきだなんて言うつもりはないのです。

 つまり、否定しているわけではないのです。

 ただ、「理解しようとしない限りは理解できないよ」と言っているだけです。

 

 今回は、学級経営のお話でしたが、あらゆる分野で同じ事が言えるのではないかなと考えています。

 自分とは違う考えがあっても、理解しようとする姿勢でコミュニケーションを取れば、否定や批判は起こらなくなるので、全ての人にとって居心地の良い場所がうまれるはずです。