Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

甘えん坊は素敵な子になる

甘えん坊は素敵な子に

「甘えん坊」は早急に改善しなくてはならないと、多くの人は考えています。

「甘やかしてはいけない」と言う人もいます。

 本当でしょうか。

「甘えるのってだめなの?」と疑問に思っている人の為に少し深く考えてみます。

 

「甘えさせる」と「甘やかし」について。

 何が「甘えさせ」で何が「甘やかし」なのかを、お話する前に定義づけしておきます。そうしないと、わけが分からなくなってしまいますから。

 私が言う「甘え」は、簡単にまとめると「不安なときに対応すること」です。

 小さい頃なら、抱っこをねだったらしてあげるとか、夜一人で寝るのが怖いなら一緒に寝るとか、出かけるときは一緒に連れて行くとかです。少し大きくなったら、話をたくさん聴くとか、できないことを一緒に手伝うとかでしょうか。

 それに対し、「甘やかし」とは、本当は自分で出来ることを親がやってしまうこと、正確には親が奪ってしまうことです。

 

 ここで結論を述べます。

 甘えることができた子は素敵な大人になりますが、甘やかされた子は少々困った子になります。

 

甘やかされた子は、何もできない子やすぐに人のせいにしてしまうので、分かりやすいと思います。では、どうして甘えることの出来た子は素敵な子になるのかを述べる前に、「甘えることが許されなかった子」はどうなるかを理解すると分かりやすいでしょう。

 

甘えることのできなかった子

 甘えたいという欲求は小さな頃から誰にでもあります。でも、多くの場合、きちんとすることを求められます。「甘えは悪いことだ」とされると、小さな子は甘えることは出来なくなる代わりに、きちんとする子になります。

 そうすると、甘えの欲求があっても、その甘えを自分で禁止するので、真面目に振る舞うようになります。これは、社会に適応したように見えるので、「良い子だね~」と褒められるでしょう。そうすると、ますます甘えることは悪いことであると思い込みます。本当は甘えたいのにです。

 そうすると、大人になっても真面目に過ごすことを選択し続けます。社会的に適応しているから、なんら問題も見当たらないでしょう。

 「じゃあ、それでいいのではないか?」と思われるかもしれませんが、全く違います。

 社会に適応するということをうわべの浅い関係で終わらせるのなら、それでも良いでしょう。しかし、人が成長するにも、大きな課題に取り組むにも、深い人間関係は必須です。

 たしかに、表面的なつきあいだけなら、控えめで真面目な人の方が好感を持たれるでしょうが、深いつきあいになると、どうしても無理が生じてしまうのです。なぜなら、真面目にしているということは、甘えたい欲求をすべて押し込めているということで、常に他人の顔色を気にしているということですから、とてもとても疲れるのです。そして、自分が模範的な行動をしている限りにおいては、自分は認められると信じているので、本当に自分がしたいことをしないで、人が求めていることに一生懸命に対応しようとし続けてしまいます。幼少期に培われた「甘えることの出来ない経験」は大人になっても続きます。

 

 では、小学校や中学校、または高校ではどうでしょうか。

 最近の不登校をはじめとするたくさんの現象は、「何も問題ない良い子なのに」とか「手のかからない子だった」とか「真面目でやさしく、勉強もしていた」などなど枕詞が付きますが、その枕詞は全部逆です。

 

 何も問題なかったのに、手のかからない子だったのに、真面目で優しく勤勉だったのに、ではなく、「だったから」そうなるのです

 甘えというのは、人間関係の上で安心感がある場合に起こります。安心感のない人には甘えることはできない、つまり、甘えることが出来ない以上、不安感を持ち続けた人生を歩み続けると言うことです。

 だから、「問題がなかったから、問題が生じている」が正解です。

 他人の目を気にして、「どうすれば喜んでもらえるか、どうすれば認めてもらえるか」ということに意識を集中して生きていく中で、自分の本当の欲求を抑圧しているのです。

 

 抑圧した自分の気持ちを感じないように、我慢して、努力するでしょう。

 コップに貯まっている水は溢れそうなのに…。

 それが怒りや不満に変換されるのも自然なことなので、「甘えている人」はもちろんですが、「きちんとしていない人」などは、全員が怒りの対象にもなりかねませんが、それを言うこともきちんとしている以上、素直に出すことは難しいでしょう。

 

甘えられた子

 甘えることを許されていた子というのは、不安になると安心をもらえた子と考えると分かりやすいと思います。度重なる安心感は、やがて世の中は大丈夫だと思えるようになります。そして、自分は愛されていることも実感するので、自己肯定感が育成されます。

 さらに、「甘え」と「甘やかし」を親が使い分けることで、自分で出来ることをどんどん増やしていきます。失敗しても助けてもらえる、助けてもらえた子は助ける子になります。人を助けることが出来る子は素敵なんです。

 ※ただし、この場合の助けも「おせっかい」とは別の意味になります。

 

 

真面目な子も面白い子になる

 私は新学期が始まり、新しいクラスの担任になると、おとなしい子にたくさん話しかけます。

 すぐに先生の側に寄ってくる子は愛嬌があってかわいいのですが、そういう子は、誰からも愛されるので、放っておいても大丈夫なんです。誰が担任になってもクラスの中心となって活躍してくれる貴重な人材ではありますが、教師はそこに安住してはいけません。

 おとなしくて、真面目で、きちんとしている子、そういう子は、話しかけると必ず困惑した表情を見せます。しかし、続けていくことで表情がどんどん代わり、うまくいけば、本来の子どもらしさを発揮するようになります。そして、先生に甘えてきます。そうなれば、その子の人生は活動的になり、交友関係が広がり、その子にとっての学校が楽しくなるのです。

 

 ところが、このようにすると、保護者の味方は2つのに分かれます。

 1つは、「先生が担任になってからうちの子が明るくなりました」という好意的な声。

 もう1つは、「先生が担任になってから、うちの子はきとんとしないで遊んでばかりいるようになってしまいました。」という批判的な声。

 

 批判的な声は、これまで述べた理論からすれば当然起こります。

「きちんとしている子は良い子」という考えが、そもそも甘えさせない子に育てているのですから、「きちんとしなくなった」のは「悪い」ということになってしまうのです。

 

 ですから、教師は子ども達を元気にした後に、親に理解してもらうという大きなミッションが待ち受けているのです。これが難しいんですよね~。

 

 

まとめ

 甘えが必要な時期があります。主に幼少期です。

 思う存分甘える経験をさせてください。

 そうすると、力強い子に育ちます。

 ただし、甘やかしと混同してはいけません。

 

 

 だっこ、添い寝、一緒にやること全て(ただし最低限度の手伝い)は、どれも素敵な「甘えさせ」です。そして、自分でやろうとしているときは、たとえモタモタしていても、手を貸すことを我慢することです。時間がかかってどうしようもないときもあるでしょうから、絶対に手を出してはいけないとは言えません。でも、「どれぐらい手を貸したらいいかな?」と、少しでも考える瞬間ができるのなら、何も考えないで手を貸すよりも、その時点で何倍も良い手助けになるはずです。

 

 

 

「自己肯定感」を高める子育て

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