Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

問題の本質を知り適切に対処する方法

問題がなくなったら

(2019.12.14の記事を加筆・修正 + 自動日付変更に挑戦)

 

その問題は、あなたのせいだと言われているかもしれません。

そしてあなたは、自分のせいだと思い、辛い思いをしているかもしれません。

しかし、本当は違います。

その問題は、あなたのせいではなく、あなたが悪いわけでもありません。

対処方法は、問題の本質を知り、淡々とこなしていくことです。

問題の種類にもよりますが、その問題は誰のものなのかを知ることで、少しは気が楽になるでしょう。

少し難しいお話になるので、ここまでを読んで

「なんじゃこれ!」

と思ったのなら、先に進まないことをおすすめします。

 

 

1 問題がなくなったら困るという事実

人はある問題があると、「問題があるから困っている」と認識します。

その問題は外側にあります。

例えば、車が渋滞しているからイライラするとか

例えば、人が自分の悪口を言っているから怒っているとか

例えば、猫がミャーミャーうるさいから腹が立つとか。

 

普通はこう考えるわけで、普通はこれでなんら問題はないでしょう。

ところが、次のような場合は注意が必要です。

 

【現象1 保護者クレーム(実話)】

 子どもが学校であった嫌なことを家で話をした結果、保護者から

「うちの子がこういうことを言っています! 学校はどう対応するのですか!」

と激しいクレームが来ていました。

 職員室はざわついていましたが、私は

「淡々と処理してください」

というアドバイスをし続けました。

 職員の淡々とした処理によって、その子を取り巻く「その子が問題だと思っていた現象」は全てなくなりました。つまり、問題となっていたことは解消です。

 

 ところがその結果、その子の表情はさらに暗くなり、どうしようもない些細な問題を大きな問題として見つけて家で話し始めました。

「あんなに言ったのに、学校はどうしてくれるんですか!」

とまたもやクレームが。

 ところが、すでに学校は淡々と適切に処理していましたし、その子が家で言うようなことは起きていなかったので、事実のみを淡々と説明してもらいました。

 保護者は、子どもが持ち帰った問題は、たいしたことではなかったという気づきと共に、その問題では怒り続けることはできないと判断したのだと思われますが、違う話題に変えて、なおも責め続けます。

 それも淡々と処理してもらいました。

 

 

【現象2 悪口メモ(よくある事例)】

 6年生の担任が

「こんなメモがあったのですが・・・」

と、悪口が書かれたメモを私に見せました。誰が、いつ、どのタイミングで見つけたのかを聞き、クラスの状態と、メモをもらった子の状態、交友関係を総合的に判断します。

 すると、結論が出ます。

 

「その子が、周りの友達に悪口メモをもらうような状況は起こらない」という結論です。

 

 では、何故メモはあったのか・・・。答えは簡単で、その子が自分で書いて、自分で発見し、自分で被害者になったのです。

 

「おそらく、自作自演でしょうね」

という私の結論を説明し、早速ノートの字と見比べましたら、おおよそ一致です(見た感じですが・・)。

 事件なので、保護者に連絡しなくてはいけませんが、「自作自演」であるという可能性は伏せておいて、事実だけを伝えるようにアドバイスをしましたら、母親の方から、「自分でやったんだと思います」ということを言ったそうです。

 

 

2 困らないように問題をつくるという事実

 普通は「問題があったら困る」と考えるのでしょうけど、場合によっては違うのです。何かが起きたときに、それが問題だとしているのは自分自身が決めているのです。

 

 信じられないかも知れませんが、私が教育現場で観てきた現象も、多くの書籍が示す方向も、問題を作ることで困らないようにしているで、完全に一致しています。

 

 例えば、学校に行きたくない子がいたとします。

 「先生が怖いから行きたくない」と主張したとして、それを解消したら

 「勉強がつまらない」と主張するかもしれません。それを解消したら

 「お腹がちょっと痛いの」と主張するかもしれません。

 当然ですが、何でもないと、お医者さんは言うでしょう。

 「熱があるみたい・・・」と主張するかもしれません。

 熱は、本当に出ます。でも、すぐに平熱に戻るでしょう。

 

 学校に行かない理由、つまり、外側に作った問題を全て解消されちゃったら、学校に行かない理由はなくなるので、困るのです。学校に行きたくないだけですから。

 

 これはごく、一例に過ぎません。

 結局、問題にしているのは自分自身であり、その問題があることで、自分にとって都合が良いから、問題にしているだけなのです。

 最初の2つの事例は、それを物語っています。

 

 問題が全部なくなったら、本当の問題が出てきちゃうのです。

 それは、その問題がなくてはならない自分自身に関する深い問題です。

 だから、問題を取り除かれると、実はとても都合が悪くなるので、問題を作り続けなくてはならない、大変な作業になります。

 

 

3 外側にある問題を取り除くと・・・ 

  最初に見える問題は、外側にあります。

 お金がないとか、時間がないとか、あの人が悪いとか、世の中のせいだとか。

 その問題を全部取り除くことは難しいのですが、もし取り除くことが出来たら、どうなるのでしょうか。本当に、そのことが問題だと思っている人にとっての解決になるのでしょうか? 

 信じなくてもかまいませんが解決しません。逆に困ります。 

 

 例えば、保育園問題で考えてみましょう。

 待機児童が増えているので、なんとかしなくてはならないというニュースがあります。そうしないと、働くお母さんが働けないから大変だ。という事でしょう。

 

 では、例えば保育園が完璧に充実したら解決するのでしょうか。

 お母さん達が働けるということは解決するかもしれませんが、新しい問題が生まれます。おそらく「もっと長時間預かってくれないと仕事に集中できなくて困ります」かな~? なんでもいいのですが、一例として読んでくださいね。

 

 では、例えば夜の9時まで預かってくれる制度を整えたら(もちろんそんなことにはなりませんが)、解決するのでしょうか。

 夜遅くまで働けるということは解決するかもしれませんが、やっぱり新しい問題が生まれます。おそらく「食事も栄養バランスを考えて取らせてほしい」とか「迎えに行くのが大変だから、園のバスを充実させてほしい」とか「子どもの様子を逐一ネットで配信してほしい」とかかな?

 

 では、それも完璧に充実したら解決するのでしょうか。 

 

 しないでしょうね~。外側にある問題がある程度なくなっても、なお外側に問題を見つけ出そうとするでしょう。きっと、「子育ては大変なのに、夫が協力してくれないのは、制度が遅れているからだ」とか「子育ては大変なのに、日本は遅れている」とか、もう、なりふり構わず問題を提起していくでしょう。

 

 じゃあ、それもぜーんぶ解決したら解決するのかな?

 

 これね、しないんです。

 全部なくなったら、本当の問題がでてきちゃうんです。

 

 本当の問題は、外側ではなく、自分の中にあるということを認めなくてはならないんです。それは何かというと子育ては大変だと感じている自分です。

 

 大変ではないと言っているわけではありません。大変でいいのです。国家事業に匹敵する事業が子育てですから。

 でも、大変だと感じているのも自分で、うまくできていないと感じているのも自分で、ちゃんとできていないと自分が批判されているような気になっちゃうのです。

 だから、原因を外側に作り出すことで、自分には問題がないと思いたいだけなのです。外側に問題があるうちは、自分の問題にはなりませんから。

 

 仕方がないのです。外側に問題を作らなくてはならないほど苦しいのです。

 全部なくなっちゃったら、自分の内側にしか問題がないということになります。

 それと向き合うのは大変です。

 だから、仕方ないのです。

 

 ただ、それでは問題は終わらないということだけです。

 そして、終わらなくてもいいんです。外側に問題を作り続けることが必要ならば、それを続けることで「終わらない」ということを経験しているだけです。

 

 もし「全部自分なんだな」と納得して進むことができたなら

 問題はなくなっても困らなくなります。

 というより、問題となるもの自体が減ってきます。

 

 普通の人は、問題がなくなったら困ります。

 普通の人を卒業すると、問題がなくなっても困りません。

 

 私は、誰でも応援しますが、外側に問題を見ている人で、すべての原因が外側にあると信じている人、つまり、事実を受け入れられない場合は、応援のしようがないのです。応援しないことが応援です。

 

 終わり方がすっきりしませんね。