Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

無意識だけど知っていること 第1回【物にも心がある】

ぬいぐるみの心

(2019.11.10の記事を原文がほとんどなくなるくらいにリライト)

 物を捨てるとき、何故か心がチクリと痛くなった経験がありますか?ただの物質なのに、まるで心があるように大切に扱った経験は? それは何故でしょうか。

 その答えは物にも心があるからです。無機質的に言うならば物質にも心が存在します。生きていないものに心などあるはずがないと考えるのが普通ですが、それは動かないからそう思うのでしょう。人は見える物はたやすく信じますが、見えないものは信じることが難しいので、そう考えるのが自然です。しかし、よくよく考えてみれば、どうやら「物にも心がある」が正解だというところに行き着いてしまうのです。

 物は痛いともかゆいとも言いませんが、それは感覚のことを言っているのであって、心のことを言っているわけではありません。そして「心」という概念があやふやだから、この記事を読んでくださっている人は、「何を言っているんだ?」となるかもしれません。

「心」というのはイメージしやすいからそう表現しているだけであって、「意志」の方が適切な表現になるかもしれません。または「エネルギー」でもいいでしょう。

 

物にも心がある

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  幼児がぬいぐるみや人形にまるで心があるように扱うというのは、誰しも経験があったり見たりしていることでしょう。ぬいぐるみや人形を題材にした絵本というのも数多く出版されています。トイ・ストーリーという映画は、玩具たちが大活躍するお話です。生きている物を模倣して創られているのだから、当たり前じゃないかと言われそうですが、果たして本当でしょうか? 

  野球のイチロー選手は、人一倍道具を大切にしていることで有名です。サッカーのワールドカップの試合では、サッカーボールにキスをしている選手もいます。概ね全ての部活動では自分の使う道具は大切にするように教えます。楽器を扱う人もまるで自分自身を扱うように楽器をピカピカにしています。バイク乗りは自分のバイクを他人に触らせない人もいます。そして「物を大切にしなさい」というのは大昔からの教えです。

  

 これらの事例の多くが「物にも心がある」ということを証明しているのではないでしょうか。科学的には「生きていない物には心はない」ということになるのでしょうけれども、それは心と思考を混ぜて考えるとそうなるということであって、心の一部である「意志」とか「エネルギー」ということで考えると「ある」ということになるのです。いえ、人間ほど複雑ではありませんが、思考ですら「ある」というのが私の至った結論です。

 

 テーブルで考えてみましょう。

 テーブルの素材は木です。木は生きているで問題ないはずです。正確には生きていたということになりますが、動かなくなったからといって心がすべてなくなるということはないのです。これは、心はどこにあるのかという難しいお話になってしまいますので、今日はそこまでは踏み込みませんが、テーブルと同じように他の物でも考えてみれば分かると思います。 

 

 究極的には、自分の身体だって物質です。自分の身体を大切にしますよね?

 それは生きているからだと、また言われそうですが、では遺体は?

 もう魂が抜けて死んでしまったとしても、大切に埋葬するではないですか。

 

 つまり、私が言っているのは理屈じゃないのです。へ理屈です。

 理屈は見えることに対して説得力があるので、理屈じゃないということ。

 理屈じゃないことは、たいてい見えない世界のお話です。

 そもそも「心」というのは見えない世界のお話ですから。 

 

 

個人的な出来事~車を廃車にした~

車

 私が社会人になって数年たった頃、車を買い換えることがありました。それまで乗っていた車は廃車です。中古車としては価格がつかないほどの走行距離と古さのためです。鉄材として、かろうじて1万円になるということでした。

 

 新しい車(これも中古車ですが)に乗り換える日、それまで乗っていた車とのさよならの日、私は家の前で熱心に洗車をしていました。すると、嫁が出てきて

「なんで、廃車なのに洗車するの?」と不思議そうにしていました。

「なんでって、今までお世話になったから、最後に綺麗にしてるんだよ。」

 

「この車には色々な思い出があるのだよ。峠でシカをひいたこともある。シカだけに、シカたないのだけど自分は無事だった。それから当時はお金がなくて貯金をすべて使って買った車で思い入れがある。廃車になるまえに感謝の気持ちを込めているのだよ」

 

 別に誰に教わったわけでもありません。でも一緒に過ごした時間が長いのですから、情が入るんです。幼児がぬいぐるみと一緒に寝たり遊んだりして心を通わせたように私もそんな気持ちになったというわけです。 

 

 それはそうと、無意識なのにどうして自分はそう思うのかな~と、以前、様々な書籍で勉強してみましたら、やっぱり物にも心とエネルギーと魂が宿っているということについて納得できました。納得し理解する前から自然とやっていた自分の感性にも納得したというわけです。

 

 そのことに関連して、ついでにある真実に気付きました。それは、 

 本当に大切な事は、生まれながらに知っているということ。

 この無意識シリーズは、そういう気づきから書こうと思い立ったといういきさつがあります。ですから、この第1回の記事が原点です。

 

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物との上手なつきあい方  

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 物には心があるのですから、上手なつきあい方もおのずと理解できます。

 簡単に一言で言うと「物を大切にする」ということになります。

 では、具体的には、どうすれば大切にしたということになり、どうすれば物は喜ぶのかということについて、わかりきったことを一応書いておきます。

 

 まずは、綺麗にすること。部屋の片づけなんていうのは基本中の基本です。

 次にしまい込まないこと。物は使われることによって喜ばれます。物の持つ能力を使わせないというのは、人で考えると分かりやすいですね。そう言った意味では、リユースというのは素晴らしい活動だと言えるでしょう。

 まだまだありそうですし、人によって大切にする仕方は様々でしょうから、基本だけにしておきます。

 

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 最後に、この記事で私が一番お伝えしたいことを述べます。

 それはお別れの仕方です。

 物には心があるからと言っても、物は増え続けます。さらに必要がなくなった物も当然でてきます。

 日本の行事として、お寺で焼くという「お焚き上げ供養」とか「どんど焼き」というのもありますが、それは特別な場合です。

 一般的には「売る」か「人にあげる」か「捨てる」かの3つから選ぶことになります。 

 

「売る」は全く問題ありません。リサイクルショップに持って行けば、少しはお金にもなるので、新しい物をえることができるし、その物は必要な人のところへ行ってくれますから。ちなみに、正確にはリサイクルではなくリユースですが…。

 

 次の人に「あげる」は、少し注意が必要です。いらないからあげるでもいいのですが、自分のいらない物をあげるよりも、自分が大切にしている物をあげる方が、プレゼントとしては素晴らしい物になります。自分がいらないものは、相手だっていらないという可能性がありますから。そうすると、物が自分だったら、こっちでもいらないと言われ、向こうでもいらないと言われていることになります。

 これほしーなーと、言われてもらわれるのなら物は喜ぶでしょうね。

 

 最後の「捨てる」が最重要です。心がチクリと痛みますから。私から2つの方法をオススメします。

 1つ目は、子どもの手作りの作品などの場合です。これはどうしても捨てるしか道はありません。売れないしもらわれないし、ゴミにしかならないからです。ですから、写真を撮っておくのがオススメです。

 2つ目は、大切にしていた物を捨てる場合です。思い入れのある物とお別れするときは、きちんと感謝の気持ちを言葉にして伝えてから捨てることをオススメします。「今までありがとうね」と言って捨てるとき、心の奥からじ~んとした感じを経験すると思います。

 

 あっ、たいして思い入れのないものなら、えいやーって捨てるだけでOKです。

 ゴミ袋や鼻をかんだあとのティッシュなんていうのは、その能力を十分に使い切っているわけですから、大切に使うという意味は、物によってその程度が違うということを誤解のないように付け加えておきます。 

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  • メディア: ホーム&キッチン
 

 さあ、部屋を綺麗にして、物たちに喜んでもらいましょう。