Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

初任時代の学び 第6回【理想を追い求める教師でありたい】

理想と現実

 初任時代の私は、日々の業務と思うにままならない学級の状態にもがきながらも、必ず一人前の教師になるのだと、まさに悪戦苦闘していました。若かりしある日、職場の飲み会で国語が専門のベテランの先生(当時はおそらく40代後半だったかな?)とお話をさせてもらう機会に恵まれました。私は日頃の学級の様子と自分が描いている理想像を話し、「でも理想なんですよね。」と付け加えました。
 すると「あら、理想でいいじゃない。理想がなかったらどっちに向かえばいいかなんて分からなくなるじゃない。」と言われたことを思い出しました。

 

理想を追い求める教師でありたい

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「理想と現実は違う」は確かに真実の一側面を言い当てているとは思います。一側面というのは、多くの人達がそのような状態になるという事実があるということです。でも、そうならない人もいる。理想を追い続ける人です。その人は「もっとよくなりたい」「もっとよくなれるはずだ」と現実を変えていこうとする思いが原動力になっています。これを「理念」と言うのでしょう。


 現実を直視し、変えていきたいという思いを持ち続けるほどの理念を確立した人が、理想を追い求める人と言えます。

 

 一人前の教師はどんな教師か?と自分の職業についても問いかけたとき、教師としての業務を一通りできる状態がすぐに思いつきますが、そうなるためには、そうなるための実践が必要であって、その実践は、理想を追い求めるということによって、かなりの部分を生み出しているのです。

 

「しょせん現実はそんなもんだ」とか「理想は理想で現実ではない」と言う人もいます。だけど、そう言う人は、理想を現実にすることがどれほど難しいことなのかを知っているということです。つまり、元々は理想を抱いていたのです。その理想を持つことを途中でやめちゃったのでしょう。努力を放棄したか、まあ、これぐらいでいっかと一応納得しなのかは分かりませんが、その言い訳として「理想と現実は違う」ということにしたいだけです。

 

 しかし、それならまだ説得力があります。一度は理想に向かったという事実があり、それがどれぐらい難しいのかを経験しているからです。ところが実際に行動するまでに至らずに、その難しさを経験することなしに「理想の実現は難しい」という人もいます。そういう人の言っている理想は、どこか空虚で非現実的で漠然としていてうわごとに聞こえます。

 

 理想というのは強い思いが原動力になっています。その原動力は「理念」や「信念」と言っても良いでしょう。そして、理想がなければ現実には起こりようがありません。何かをするということは、必ず何かを目指しているということで、目標や目的という言葉でちょこまかしていますが、目標や目的というものの親分は「理想」でいいでしょう。

 

 理想の挫折

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「理想と現実は違う」というのは、真実の一側面であるということを先に述べました。そしてそれは、思うにままならない事実が根拠となっていることも述べました。大昔から人々は理想を求めてきたけど、理想通りの社会にはなっていないという大いなる事実です。平和で平等で戦争や貧困のない世界がその代表と言えるでしょう。

 

 沢山の努力や行動があったにもかかわらず、なぜ理想は実現しないのか。
 それは簡単に言うと「本物の理想ではなく、漠然とした空想や根拠のない妄想、そしてただの憧れだから」です。

 

 では、本物の理想とは何でしょう。
 それも簡単に言いますと「現実に根ざし、見えないものをも包括した深い理念」です。うまくいったとか、失敗したなんていうのは所詮目に見える世界のことを言っています。でも、見えない世界までを勘定に入れた理想でなければ、理念がないということになります。損得勘定で理想は語れないのです。

 

 自分自身に関しては、理念を持つことで理想は限りなく現実を生み出します。
 社会に関しては、そのような人がどれだけ増えるかによって決まります。

 
 自分自身が持つ理想像を手放した人は、他人に「何だってできるんだよ」とは絶対に言えません。自分にできなかったことを、他人に薦めることなど、到底できっこありません。だから、私は理想を追い求めるということを選んだというわけです。

 

初心忘れるべからず

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 多くの人が「理想」を持っていた頃の自分をあきらめてしまいます。そうして、いくつもの理由をでっちあげ、自分で自分自身を納得させ、とりあえずこれでOKとしています。


 もちろん、それで良いのです。それで満足ならば、他人がとやかく言う問題でもありません。あくまで自分自身の問題であって、必ずそうなった理由が存在しますし、本当に納得しているのなら思考と感情が一致していますからね。あるいは、そもそも描いていた理想が違っていたなんていうこともあります。


 私が今回お伝えしたかったのは、もし「理想と現実は違う」と言う人がいたとしたら、「その理想をかつては持っていた自分がいるのですよ」ということです。「初心忘れるべからず」という有名な教訓がありますが、それは少し強い表現なので、「初心、時々でいいから思いだしてね」ぐらいがいいのではないでしょうか。

 

 実は、偉そうなことを書いちゃっていますが、私自身だって常に初心を忘れないように努めているわけではありません。よくよく考えてみたら、そのような初心からずれていない行動をしていたなと、たまに振り返るぐらいです。過去ばかりを思い出したって仕方ないですからね。

 

 久しぶりの初任時代シリーズなので、過去記事をリンクしておきます。

 もしよかったら覗いてみてください。

 主に、初任者に向けた内容となっていますから、若手がこのブログを読んでくれているという保証もないのですけれど、一応貼り付けておきます。

 

 

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