Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

3つの道

道


 スポーツでも勉強でも仕事でもなんだっていいのですが、挑戦することのできるあらゆる事に対して、3つの道が用意されているように思います。道を進まないという選択もありますが、進むならという前提で記事を書きます。そして、どの道を選ぶのかも自分で決められます。

 まずは道に関する名言を2つ紹介します。

「人生は道路のようなものだ。いちばんの近道は、たいてい一番悪い道だ。」

(フランシス・ベーコン 英国の哲学者・法学者)

「人間が大きな進歩をするための道は、いつも苦しみによって開かれなければならない。」 (カール・ヒルティ スイスの哲学者・法学者)

 この2つは、良い道についての名言です。良い道は悪い道と言えそうです。

 

1 邪道(ジャドウ)

 邪道とは、正当ではない方法、本筋からははずれる道です。仏教用語で、仏道に外れた不正な教えを示しています。

 こうやって書くと、「それはダメでしょ!」なんて思ってしまうかもしれませんが、よくよく考えてみると、この邪道は多くの人が選んでいます。

「楽をしてお金を儲けたい」とか「楽をして良い成績を取りたい」とかが分かりやすいですが、微妙な所にもあります。「良い方法を教えてもらいたい」「失敗しないでうまくやって良く見られたい」なども邪道に入るでしょう。

 こうやって書くと、どれもこれも「邪道」になるような気がしてきますが、その通りです。世の中は邪道だらけです。読まれた方に叱られそうですが事実なので仕方ありません。違う道を紹介したときに、ほとんどが邪道であるということが理解できますので、もう少しお付き合いください。

 ここで付け加えておきたいのは、「邪道」は別にOKだということです。道の1つですから、道を進まずに停滞しているよりは圧倒的にOKです。進まないと選んでいる人も多いのですから、邪道を進んでいる人は元気いっぱいです。そして、一般的な成功も収めやすく、人生が豊かになります。

 そして多くの人がこの道にいるため、人をかき分けて進むことになります。つまり「競争社会」です。人をかき分けて進む道、それが「邪道」です。

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2 奇道(キドウ)

 奇道とは、奇を照らしたような抜け道とでも言いましょうか、みんなが気づかない道です。みんなが気づかないのですから、その成果と効果は抜群です。奇襲戦法や奇策など、ちょっとずるい感じがしますが、これも立派な道の1つです。

 多くの人は、この奇道を見たとき、楽しくなります。なんといっても回り道ですからね。学校の帰り道、周り道を見つけたら興奮するでしょう。

 奇道ですから、邪道とは違って、人がいませんので早く進めます。

 でも、「ずるい!」なんて人から思われたりもします。

 そして、みんなからずるいと思われてしまうので、見つけられてしまったら、結構早めに通行止めにされてしまいます。奇襲戦法は、ばれちゃったら通用しないということです。でも、その道を見つけたのはすごいと思いますよ。そして、本当はずるくもなんともないわけで、それを見つける力があったということです。

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「こんな道を見つけたぜ―! しかも自転車もみっけた!」

みたいな感じかな~。 

3 王道(オウドウ)

 王道とは、王様が通る道です。邪道は人をかき分け、奇道は人の居ないところを進むのですが、王道は人がたくさんいても、王様を見つけた人が自分から道を空けてくれます。それどころか、王様の後を人々は追いかけていきます。そういう道です。

 ここで最初の名言に戻りますが、この王道を進むのは大変難しく、苦悩や苦労、努力や覚悟が必要であるのに、地味な道なのです。地道にこつこつ苦労を買って進むという険しい道です。すぐに効果はでないし、苦労の連続だし、しばらくは誰からも気づかれない道です。

 つまり、一見、一番悪い道が王道の入り口だということです。

 この王道がいかに難しいか、世の中を見渡してみればすぐに分かります。

裸の王様

 例えばリーダー論。

 邪道は、みんなにとって都合の良いことを言うリーダー。自らも迎合し、みんなで仲良く気分良く、営利や目先の利益を目標にチームをまとめられる力があります。

 奇道は、みんなが考えないようなことを思いつくリーダー。奇策が尽きるとそこで終わりますが、周りから「あの人の発想力はすごい!」と絶賛されます。

 王道は、みんながついていきたくなるリーダー。王道を通るのは王様ですから、基本的に自分では何もしません。何もしないけど、最終的な責任みたいなのは全て自分で引き受けます。何もしないから他の人が動きます。だから、その組織は人材が育成されていきます。王道を進むリーダーは、自身の存在そのものが最大の武器となります。

 

 ここで、もう一度確認しておきます。

 どの道も立派な道なのです。文字にすると、王道が正しい道であって、それ以外の道を否定しているような感じを受けるかもしれませんが、そうではありません。どの道であっても、進んでいるのだからOKなんです。

 多くの場合、邪道を通り、時々奇道を見つけ、様々な経験をした上で、ようやく王道に行きたいな~と選び直すものです。いきなり王道から入れる人など、ほとんどいません。もしかしたら、王道から入って、邪道や奇道に迷い込み、やっぱり王道に戻るということの方が多い分野もありそうです。

 幸せになるために一生懸命働き、お金持ちになったら、お金に翻弄され、本来の目的を見失っている自分に気づくなんていう事例は山ほどあることでしょう。

 好きで始めたスポーツが、いつの間にか苦しいスポーツになり、もがき苦しんだ結果、やっぱり好きに戻ったという事例もたくさん見聞きします。 

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人は途中で道を変える

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 道を進まないことを選んでいる人は、動いていないので変わりません。厳密には、周りは動いているので、少しは変わるのですが、自分の力では変われないということで、変わったとしても微妙です。

 ここでも一応確認しておきますが、それでもOKです。変わらないとダメと言っているのではないのです。変わらないのは安定という状態を生み出しますから、その状態が良いのなら、あえて動く必要などないのです。

 私が今回お伝えしたいのは、人は変われるということで、変わりたいのなら道を進まなければ変わりようがないということだけです。その時に、3つの道があるので、その時の自分が置かれた環境やニーズ、目的に合わせて進めば良いのです。

 ただ、最終的に努力をし続ければ、結局は「王道」に向かっていくでしょう。

 王道は見つけにくいんです。地味ですから。

 邪道はみんなが向かっているので、みんなを追っていけば良いので簡単に見つけられます。奇道はきらびやかに光っていますから、お宝を発見した感覚です。大抵は邪道の中にあります。奇道単体であるということはないでしょうね。

 

 最後になりますが、どの道を進むにしても、自分で選ぶことです。自分で選んだ道だから、進めるということです。

 これも多いのですが、他人にレールを敷いてもらい、自分で選んだのではなく、他人が選んだ道を進む状態。行き先がはじめから分かっている。いえ、正確には分かっていないのですが、分かっているように感じられる道というのもありました。というか、それが一番多いのかもしれませんね。まあ、それでも進むのだからOKでしょう。

 きっと途中で「自分の道を自分で選びたい」という願いが生まれ、それが苦しみになるでしょうけれども、それがでるまではそのレールでもOKです。そのレールを選ばされているとしても、突き詰めて考えてみれば、自分でそのレールを選んでいるのですから。 

 

 なんだか、なんでもOKだという記事になってしまいました。

 収まりが悪いので、ニーチェの名言を紹介して終わります。

「登山の喜びは、山頂に達したときに頂点となる。しかし、私にとって、一番の楽しみは険しい山脈をよじ登っているときである。険しければ険しいほど、心臓は高鳴り、勇気は鼓舞される。」 (フリードリヒ・ニーチェ  ドイツの哲学者)