Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

分かりやすく教えても子ども達ができるようにならない理由

分かる授業について


 教師は授業が生命線です。分かりやすい授業-子ども達が理解し「できるようになること」-を目指し、学力をつけていくのが使命といっても過言ではありません。もちろん、教師の使命はそれだけではなく、本質的にはもっともっと奥が深いのですが、一日のほとんどが授業によって過ぎていくので、たいていの場合、教師はまず、授業がうまくなるように努力するということです。

 今回は「分かりやすい授業」について、その弱点と盲点とポイントをお伝えします。ただし、本当はさまざまな要因が絡んでいますから、この記事が全てではないことをご了承ください。

 

分かりやすい授業を作る教師の作法

 各教科における分かりやすい授業のポイントについては、各教科の専門書にゆだねるしかありませんが(量が膨大すぎるので)、ここでは、大まかな原則についてだけ述べることにします。

 分かりやすい授業とは、子ども達が先生の話についてこられる授業です。そうすると、まず第1に「言葉が分かりやすい必要がある」と言うことになります。具体的には、話す速度の適切さやすっきりとしていて無駄が少ないことがあげられます。

 話が長く、内容が混沌とし、そして早口だったとしたら、一生懸命聞こうとしていても、やがて諦めてしまうでしょう。小難しい話を聞いて眠くなるのは、大人でもよくあることですから、子どもならなおさらです。

 また、声の大きさやイントネーションなどもあげられます。声の大きさは大きすぎても小さすぎても分かりやすい授業を妨げてしまいます。

 

 第2に「スモールステップで全員を連れて行く」ということです。一度に説明せずに、ひとつずつ区切って、確認しながら進めるということですが、ここで子ども達の作業が絡んできます。1人の教師が大人数の子ども達がきちんとついてこられているかを見取っていくわけですから、作業をさせて、確認しながら進めないと、誰が到達していないかが分からなくなってしまうからです。作業の方法は、書かせるとか発表させるとか、様々な方法があるので、適宜、教育技術として使っていきます。

 この確認作業は、一度に説明してはうまくいかないということにも繋がっています。一度に説明してしまったら、誰がどこで置いて行かれているのかの把握が困難になってしまうからです。登山で例えると、子ども達を頂上まで連れて行ったと思って後ろを振り返ってみたら、数名しかついてきてはおらず、2合目で休んでいる子や、8合目でギブアップしている子、あきらめて下山している子や遭難している子などがいたということで、1人の教師が連れに戻ることは極めて困難であるということです。

 

 第3に「声をかけたり、気遣いをし続ける」ということです。ついでですから登山を例に考えてみます。その登山はなかなか険しいと仮定したとして、2合目なら「2合目まで来られたね」という価値づけをする。8合目なら「もう少ししたらゴールだよ」など見通しを持たせるなどして、モチベーションを上げるということが必要でしょう。

 これを授業に置き換えると、「出来て良かったね」とか「一生懸命やってるね」という声かけになりますが、声かけについては時と場合によって様々ですから、これ以上取り上げることは、今回はしません。とにかく、一人一人の子ども達が、「自分は先生に見守られている」という感覚を与え続けるということになります。

 

 第4に「確認作業」をするということです。子ども達が本当に理解出来たのかどうかを最終チェックです。算数だと「では、問題をやってみましょう。」ということが起こしやすいので比較的簡単です。国語の漢字などもその分野に入ります。国語や社会は少し難しいですが、本時の狙いを定め、その狙いに沿った授業をし、その狙いが達成出来ているかどうかを書かせてみれば一目瞭然です。

 そして、また登山の登場ですが、ゴールしたら一緒に喜ぶことで、子ども達は「勉強して良かった」「楽しかった」「またやりたい」という好循環が生まれます。

 

 以上が理論と理屈です。

 ざっと概要だけを書いたので、簡単そうに聞こえるかもしれませんが、これらを実践するには、教師としての相当な努力と勉強と時間が必要であることだけは押さえておいてください。

「教師の話し方」「スモールステップ」「声かけ」「確認」は、どれも奥深く、その中に様々な教育技術があるので、すぐにできるようにはなりません。(また登山の登場ですが)それでも一歩ずつ登っていけば、少しずつ頂上に近づくはずです。

 

 

分かったつもりにはなれる

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 分かりやすい授業ができるようになると、その授業によって子ども達は理解します。ところが、ここで落とし穴があります。その時間内では理解したとしても、数日後にテストをしてみたら、「あれ?」ということがあるのです。

 これは何を言っているのかというと、「その時間の中では理解したように見える」けれど、「本当には分かっていないという状態」。つまり「分かったつもりにはなれた」ということです。

 分かりやすい授業ができるようになるだけでも大変なのに、それ以上に「本当に分かる」授業への道はまだ遠いということです。

 分かりやすい授業ができるようになったとき、別の視点が必要なのです。その視点を持っていなければ、「さらに分かりやすい授業は?」と、上記に挙げた内容を追求し続け、それでもなかなか理解してくれないという「無限ループ」に陥ってしまいます。

 それは、やがて子ども達を弱体化し、分かりやすい授業でなければ分からないという子ども達を育ててしまうことにもつながってしまいます。

 きっと、現代社会における若手社員の仕事が続かない現象にも、ある側面では、このことと繋がっているのでしょう。上司が分かりやすく教えてくれないから分からないとか、大変な仕事はやりたくないとか、説明してくれなきゃ分からないとか、あげれば切りがなさそうですが、まとめると「他力本願」であるという状態を生み出してしまうということです。 

 

 

子ども達が本当に覚えるためのポイント

 分かりやすい授業だけでは、子ども達が本当に理解することは不可能なのです。分かりやすい授業が悪いということではありません。それは必要なのです。しかし、分かりやすい授業は、子ども達が本当に理解するための入り口にすぎないと理解することです。どういうことか、スモールステップで説明します。順番に理解してください。

 

①人は忘れる生きものである。

 有名な忘却曲線という理論がありますが、人は基本的に忘れます。それを防ぐために復習や反復練習という方法があるのです。

 

②聞いた話は忘れやすいということを理解する。

 自分自身の経験に照らして考えれば分かると思いますが、聞いただけの話は忘れます。その話を聞いたときは「分かったつもりになれる」のですが、数日後、その話のほとんどは忘れているはずです。だから書かせるという活動をさせますが、板書をを書き写させるだけでは、さほど効果は薄く、話を聞いただけよりは良いくらいの効果でしょう。

 以上の2つから、分かりやすい授業は忘れやすいということです。

 

③理解する順位を知る。

 でも、せっかく教えたのだから、理解して欲しいと願うでしょう。そこで、理解するために効果的な方法を知っておくと便利です。ある知識を教えたとして、忘れやすい方から書きます。

 1位 聞いただけの話はすぐに忘れる。

 2位 聞いた話を自分なりに理解した話は少し覚える。

 3位 聞いた話を自分で考えて頭の中にインプットできた話は忘れにくい。

 4位 聞いた話から自分で見つけたり気づいたりできたときは忘れない。

 5位 自分で分かった事を人に教えたときに理解は深まる。

 文章はあまり気にしないでください。いくらでも表現は変えられますので。

 ここでお伝えしたいことは、「インプット」と「アウトプット」ということです。インプットしたことをアウトプットすることで、理解に繋がるということです。ただ、インプットだけでもさらに奥が深く、自分で見つけたり、自分で発見したときのインプットは強力で、喜びも生じるほどです。

 何を言っているのかというと「教えすぎてはいけない」ということです。何でも教えてしまったら、自分で発見することがなくなってしまい、強力なインプットも、学ぶことの喜びも奪うことになってしまうのです。

 

 ここまでをまとめると、「分かりやすい授業」の先にあるのは、「教えない」ということになります。ただし、全く教えないということではありません。何でもは教えないということです。この辺の線引きが難しいのですが、意識して実践したり、ベテラン教師にアドバイスをもらうことで、少しずつ感覚がつかめてくると思います。

 

 

自分で経験しなくてはならない

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 ただの知識は忘れやすいのですが、知識の上位概念である「智慧」まで進めば忘れません。知識は大切ですが、そこで完結ではなく、智慧にまでならなければ「本当に理解した」ということにはなりにくいということです。

 では、智慧になるにはどうすれば良いのかと言いますと、それは「自分で経験しなくてはならない」ということになります。自分でやってみて、もらった知識を活用して自分の頭で考え、答えを出してみる。人に考えてもらっていたら、いつまでも自分の頭で考えませんし、全てを教えること自体が、そもそもできないのです。

 自分で考えて、自分で発見したとき、その子は飛躍的に理解しますし、学ぶ喜びが体の奥底から出てきます。

「分かった!」という声も出ることがありますし、それを友達にも教えたいという欲求も生まれます。

 

 何を教え、何を教えないのか。

 教える必要があることは「分かりやすい授業」で教え、

 考えさせるところは「発問」や「場の設定」を活用し、

 全ての子ども達に目を行き届かせて見取れるようになると、子ども達はできるようになります。

 

 分かりやすい授業だけでも、効果は十分ありますが、さらに「本当に理解する」ためには、「分かりやすい授業」+「自分の頭で考えられる授業」と押さえておきましょう。

 

 

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