Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

避けることができない3つの影響力

3つの影響力


 よく「運命」とか「宿命」とかいう言葉を耳にします。この2つはよく混同し、良くも悪くも、自分の力ではどうすることも出来ないものとして扱われ気味です。「こうなる運命だった」と言えば、それは否定的に扱われ、「運命の人との出会い」と言えば肯定的に扱われたりもします。そして「宿命」は変えられないもので、「運命」は変えられることという線引きがされているようですが、本当のところはどうなのかな?とも思います。

 今回は「運命」とか「宿命」とかいう話ではないのですが、人が誕生した瞬間に避けることの出来ない3つの大きな影響力の存在について述べてみたくなったのです。避けることが不可能ということなので、これは「宿命」というジャンルになるのかな~とぼんやり考えてみたわけです。

 

1 親の影響力

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 1つ目の避けることの出来ない影響力は、自分の両親からの影響力です。

 生まれた瞬間に、赤ちゃんは100%、親に依存しますし、親(母)と赤ちゃんは完全に一体だと赤ちゃんは感じています。そして愛情の基礎を体験し、成長し、徐々に別々の人であることを理解し、ある年齢になれば自立していきます。

「親の言うとおりにはならないが、親のするようになる」という言葉が示すように、親の考え方は、すり込まれるように子に伝わっていきます。やがて、親の価値観は、子ども自身が自分の価値観だと勘違いするほどすさまじく影響を与えてしまいます。

「親のようにはなるまい」と、親を反面教師にする場合もありますが、それも自分の親を意識している時点で、やはり「親の影響を受けている」ということになります。

 生まれた時点で確定してしまっている両親の存在。これは避けようがありません。そして影響力が自分の人生を左右するほど強力です。

 

2 地域の影響力

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 2つ目の避けることの出来ない影響力は、生まれ育った故郷です。国もそうですし、地域もそうです。国や地域には、独自の文化が根付いており、その影響を受けます。米国に生まれたかったと願っても、日本に生まれたんだから、日本人だということで、途中で変えることはできないし、引っ越ししたとしても、やはりその土地の影響を受けます。

 人は必ずコミュニティーを形成するので、無意識、無自覚に影響を受けているのです。日本人の温泉好きや、勤勉な国民性なども、個人差はあるでしょうが、それにあたります。

 ケンミンショーというテレビ番組がありますが、この地域性と食文化をよく取り上げているので、分かりやすいと思います。

 

3 時代の影響力

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 3つ目の避けることの出来ない影響力は、時代です。昭和生まれとか、平成生まれとかよく耳にしますが、昭和とか平成とかは便宜上区切られているだけなので、そこはあまり関係ないかと思います。ただ、10年単位で振り返ってみれば、時代によって人々の考え方は大きく違うことに気づきます。

 学校は、「学力偏重」から「ゆとり教育」、そして「学力重視」へと変わり、最近は「もう、わからん!」と言っています。

 電話は「家の電話」から「子機の登場」、携帯電話、スマホへと変わり、コミュニケーションそのものが大きく形を変えつつあります。

 生活様式も変わりましたし、世の中全体の価値観も随分変わりました。

 この時代の影響は避けられませんし、当然ですが多大な影響力があります。

 

 

3つの影響力をどうするか…

 ようやく本題です。

 本題ですが、短く終わりますので、もう少しお付き合いください。

 

 上記3つの影響は避けることは不可能です。これを宿命の一側面としておきます。3つの条件を変えることはできず、もう生まれたときには決まっています。

 しかし、その影響力を受けたとしても、そのまま受けるのではなく、違うことを選択することはできます。人生は選択の連続ですから、自分で選び取るということはできるのです。選んだら、その結果も当然選んでいることになります。

 何も考えずに、他人に選んでもらい続けることを選ぶこともできますけど、それだと「そうなる運命だったんだ」ということになり、運命も変えられないということになってしまいます。

 宿命は変えられないけれども、運命はある程度変えられます(線引きが難しいので曖昧な表現にしておきます)。

 運命の人と出会ったとして、でも別れてしまったとしたら、運命の人ではなかったとか、別れる運命だったとか、もうわけの分からないことになりそうですが、「変えられる」ということを言っているのです。

 

 3つの避けられない影響力を受け入れ、それでも自分で選んでいく。宿命と運命の両方を潔く生きていくのがよろしいかと、ぼんやり考えてみました。