察する力は、全てには理由があると考える事からはじまる。
否定せず、肯定したときに、察する力は発動する。
そういうものである。
それは迎合することではなく、忖度とはほど遠い。
相手を知ろうとする試みであり
相手を全面的に受け入れようとする営みである。
先入観を全て捨て去り、ありのままの相手を見ること。
相手のことを本当に分かりたいと決めること。
それなくして察することなどできない。
下のチビ姫(4歳)が道の駅で突然すね始めた。
そういうモードと片づけることはできるが、何かあるはず。
道の駅でしばらくの間は機嫌が良かったのだから。
機嫌が悪くなった理由が存在するはずだが思い当たらない。
ただすねているだけとしてはいけない。
全てには理由があるのだから。
記憶をたどってゆく。
そういえば、今朝の朝ご飯は残していた。
残していたので、この日のおやつは無しだと通達されていた。
チビ姫は先のことを考えられないので、それでいいと楽しげだった。
道の駅に着いたとき、チビ姫はアイスコーナーを見ていた。
ただ見ていた。
食べたいとかも言わずに見ていた。
アイスコーナーを離れても普通だった。
それから数分後、チビ姫は動かなくなった。
もうそろそろ行くよと伝えても動かない。首を横に振るだけである。
私は近くに寄って
何か嫌なことでもあったのかい?と訊ねる。
チビ姫は首を横に振る。
じゃあ、だっこしようか?と訊ねる。
チビ姫は首を横に振ってすねた表情を見せる。
もしかしてアイスかい?と訊ねる。
チビ姫は小さく首を縦に振る。
そうか、アイスが食べたかったのか。
チビ姫は少し恥ずかしそうに、首をさっきよりも大きく縦に振る。
・・・じゃあ、食べよっか。
チビ姫は笑顔になる。
そして、アイスコーナーへ駆けてゆき、嬉しそうにアイスを選ぶ。
おやつは抜きだとしたことを撤回するのは少々心苦しいが
それよりも大切な事は
察してもらったという経験をさせること。
その経験が多くなればなるほどに
チビ姫は察することのできる人に成長するのだから。
全ての行動には必ず理由がある。
理由が分かれば察してあげることが可能になる。
訳が分からない子どもの行動が見られたときは
察する力を発動する機会が訪れたと喜ぼう。
察してもらった子は嬉しいだろうけれども、察することのできた自分はもっと嬉しいはず。喜びはかけ算のように倍増する性質があるのだから、見逃してはいけない。