Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

「経験」と「体験」

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 本当に理解するためには「経験」するしかありません。「経験するしかない」ということが腑に落ちるには、やっぱり「経験するしかない」ということを「経験」する必要があります。もう結局、何でも「経験」なのです。このことが分かると、教育現場での指導のあり方や言葉のかけ方が変わります。

 

「経験」と「体験」

 まずは「経験」とは何かということを理解する必要があります。

「経験」とは、意図的であるかどうかは関係なく、意識できるかどうかも関係なく、ありとあらゆる現象の全てです。生きているなら毎日が「経験」の連続です。

 視覚、聴覚、味覚、触覚、臭覚という体に備わっている五感に加え、どう感じるのかという第六感も仲間にいれ、さらにそれらをどう解釈し、どのように考えるのかという思考も加わります。心も感情もみんな仲間に加わってしまいます。そんな総合的なものが「経験」です。総合的だという理由で、ほとんどの人が「経験」の大切さを経験して理解しています。これは「経験がない場合」として考えると分かりやすいので例を出してみます。

 

 例えば登山はどうでしょうか。

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 山に一度も登ったことがない場合、いくら山についてたくさんの知識を詰め込んだとしても、登山をたくさん経験している人からすれば、「あなたは山については知らないよ。」と断言できるレベルでしょう。

 

 例えば食べ物はどうでしょうか。

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 北海道にはジンギスカンという羊の肉を食べる食文化がありますが、あれは賛否両論です。「美味しい」という人もいれば「苦手だ」という人もいます。それは、経験をした人が下せる判断であって、一度も食べたことのない人は理解できないでしょう。「結局、おいしいの?おいしくないの?」ということをいくら聞かれたとしても、「食べてみたら分かるよ。」ということになります。

 

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 私はバイクに乗りますから、「バイクって気持ちよさそう。」と言われます。しかし、そう言われると「気持ち良い時もあるけど、基本的には寒いし暑いよ。」と答えます。「雨は大変なの?」と聞かれれば「タイヘンダヨ」と答えますが、「じゃあ車の方がいいのね?」と聞かれれば「その大変さもまたいいんだよね。」と答えます。「危なそうだ」と言われれば「安全だ」と答えるし、「安全なんだよね?」と聞かれれば「危険だ」と答えます。

 

 何が言いたいのかというと、答えは矛盾することが多いということで、聞き手にとっては矛盾していることでも、答えている方は矛盾していないのです。しかし、経験すれば分かります。何を言っているのか、経験した人は納得します。だから経験が大切なのです。

 

 似た言葉に「体験」というものがあります。「経験」とどう違うのかというと、「体験は経験の中の一部」であり、「経験」が全体で「体験」は部分です。

 体験学習という言葉を思い浮かべれば分かると思いますが、何かの目的に向かって意図的、計画的に行われます。そして、体験学習を通じて、あらゆることを「経験」します。体験したことが経験に取り込まれていくというイメージです。

 

 まとめると、経験が全てではあるけれども、それは意図してもしなくても起こる総体ですから、なかなか起こらない経験というものがあります。でも、意図的に人為的に経験を起こすことができる、それが「体験」ということになるでしょうか。

 

 

教育に経験と体験を活かす

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 以上のことを理解すれば、子ども達にどのように指導すると効果があるかが分かります。簡単に言うと、経験させるために体験させるのです。

 勉強をいくら教えても分からないという子に、もっと分かりやすく教えるということは通常なされますが、相手に与え続けているので、自分で消化していないのです。インプットとアウトプットのバランスが、圧倒的にインプットに偏っています。それをアウトプットに比重を移していくのです。教えたことを、自分で試しにやらせてみる。そうすることで、自分の体験になり、その積み重ねが経験となっていきます。

 

「言って聞かせてやらせてみて、褒めてやらねば人は動かぬ。」

という有名な言葉が示すように(誰が言ったんだっけな?)、そこには実践、体験、が含まれています。しかし、このこともまた、経験のない人は「褒めてやる」に注目しがちになってしまいますが、本当は「やらせてみて」が最重要なのです。

 やらせてみるために「言って聞かせ」、やったことを価値づけるために「褒める」のです。その繰り返しによって「人は動く」というのが効果的な解釈でしょう。

 そして、以上の説明もまた、自分で経験しないことには分かりませんが、実はほとんどの人は経験しているはずですから、自分のこれまでのことを想起してみてください。すると、「なるほど、今の自分ができるようになったことは、やってみたからであり、やった結果、褒められたり感謝されたり、人の役に立てたり、充実感があったから、さらに価値づけられたのだな。」という理解がなされるはずです。

 

 教育に活かすために、教師は「聞かせられる力」「褒める力」が必須です。

「褒める」はまた奥深く、「価値づける」とか「勇気づける」の方が適切な表現となりますが、そのことについては今回は割愛します。もし、すぐにでも知りたい方は、アドラー心理学が最近注目されて、書籍もたくさん出版されていますから、それを読むとよく分かるはずです。

 

 教育現場だけでなく、様々な場面で使えるので「やってみて」ください。

 

 堅苦しい内容でしたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。