Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

字が汚い!子どもへの文字の指導

f:id:Nayunayu:20211227085712j:plain

「文は人なり」という有名な言葉があります。フランスの博物学者のビュフォンという方が提唱されたそうですが、要は「文章にはそれを書いた人の人柄がでる。」ということで、その通りだと思う一方で、その通りだから自分がブログを書く時は心穏やかな時に書く、あるいは本心から書きたいと思ったときにしようと自戒します。

 さて、「文は人なり」で、その文は連なってゆき「文章」となるわけですが、そもそもの粒は「文字」になります。「文字」が連なって「文」になる。今回は真面目に教育ブログとして、その「文字の指導」について私見を述べてみることにします。

 私の記事は全てそうですが、ひとつの側面、ひとつの物の見方を提唱していますので、それが全てではありません。でも、そういう側面があるのだなと知っておくと、何かと便利かもしれませんから書いてみます。

 

文字が汚い!

 文字の指導と言えば「書き順」「バランス」「とめ」「はね」「はらい」などの形に関することがほとんどです。そしてやっかいな「漢字」。

 ほとんど全ての学校では、この文字指導に多くの時間を割きます。

 国語学力=語彙力と言っても、まずは過言ではないでしょう。

 その字が汚い!

 これが今回取り上げるテーマです。

 どうすれば字を綺麗に書けるようになるのか・・・。

 現場で多くの子ども達のノートやら作文やら家庭学習やらを長年見てきた経験も踏まえて説明します。

 

 まずは現場で見てきた子ども達の特徴をいくつか挙げてみます。

【字が綺麗な子】

・女子に多い。

・身なりも綺麗な子が多い。

・書くことが好きな子が多い。

・国語が好きな子が多い。

・ノート作りの見栄えが良い。

・筆入れには鉛筆の他、様々な色ペンが入っている。

・筆箱が綺麗。

・文房具が好き。

・持ち物に名前が書いてある。

 

 いかがでしょうか。これらのことはあるひとつの特徴に行き着きます。

 それは女子であるということです。

f:id:Nayunayu:20211227085742j:plain

 女子でもたまに文字の汚い子というのはいますが、男子でもたまに文字が綺麗な子がいるように、ひとつの傾向として押さえてください。

 ですから、基本的に女子は綺麗に書く傾向があり、男子はそうではないという傾向を持っていると知っているだけで、随分と楽になるはずです。

 楽になると共に、指導方針が変わってきます。

 それは、男子も女子も同じように指導しては失敗するということです。

 そもそも、男子は字が汚い子が多いのです。私もそうでしたから。

 それを「女子のように綺麗に書く」あるいは「お手本のように」なんて指導には無理があるのです。ですから、男子の褒めるポイントと女子の褒めるポイントを別々の視点で見て、適切な評価語を伝えていけば、概ねうまくいきます。

 

文字も人なり

f:id:Nayunayu:20211227000452j:plain

 さて、ここからが本丸のテーマになります。

 先ほど述べていた「文字が綺麗かどうか」は布石にすぎません。

 より深く潜っていきます。

 

「文は人なり」ですが、私は「文字も人なり」と実感しています。

 どういうことかと言いますと、文字にはその子の心の状態がよく現れているのです。例えば「綺麗だけど小さい字」「綺麗だけど筆圧が弱い字」「綺麗だけど細い字」などがある一方で、「決して綺麗とは言えないけれど伸び伸びとして良い字だなあ」と感じる事が多々あります。

 そして、綺麗かどうかは別として「伸びやかで力強い字」を書く子の心の状態は健康で、あらゆる事に果敢に挑戦しています。逆に綺麗だけど几帳面な字を書く子は、生活全てが几帳面で臆病な側面を持っています。

 さらに、綺麗かどうかなど、見る人によって変わります。

 ですから、綺麗かどうかが問題なのではなく、丁寧なのか乱雑なのかが問題なのです。そして私が一番問題視しているのは次の2つの状態です。

 

1 綺麗に書けるのに乱雑に書く子。

2 書かない子。

 

 これは共に心が乱れている状態です。心が乱れるというのは、今に集中していない状態ということで、心があっちにいったり、こっちに来たりしているので乱れているという表現になります。

 この状態で、形だけ体裁を整えようとする「綺麗に書きましょう」は無理なのです。だって、心が乱れているのですから。

 

 以上のことをまとめると、字が綺麗というのは1つの側面であって、うわべという側面もあって、中身はと聞かれるととたんに怪しくなるものです。お手本通りというのは、みんなと一緒ということで、個性もありませんし。それなら機械で良いわけです。  

 手書きのお手紙って、なんだか嬉しくなりませんか?

 そのお手紙の文字が綺麗で個性的だと素敵すぎますが、綺麗でなくとも丁寧に書いている事が伝わってくれば、その文字に相手の心も乗ってきますから、嬉しくなるはずです。ですから、綺麗に書けるように指導するのではなく、心を解放させるように指導していくのです。指導と言う言葉がよくありませんね。指導というよりは価値付けてゆくという表現のほうが適切かもしれません。

 

具体的な指導(価値づけ)について

 女子の基本路線は「きれいだね」が一番有効でしょう。

 何事にも例外はありますが、一般的には「きれい」と言われて嬉しくない女子はいません。たまに「きれいじゃない!」と逆ギレするような人もいますが、それは自己肯定感が低すぎるという側面や心が乱れまくっているという側面、あるいは誰が言うか問題もありますから、原因は1つではありません。

 表面上はせっかく褒めているのに否定してきたとしても、もう少し潜った無意識の方では必ず喜んでいるので、続けてください。「きれい」という言葉がじわりじわりと浸透していき、やがてその言葉が素敵だと分かるレベルになりますから。

「きれいな字だね」でなくてもかまいません。同じような言葉であれば大丈夫です。「整った字だね」とか「○○さんらしく丁寧な字だね」とか「うっとりするような字を書くね」とか。これをことある事にさらりと伝えます。

 

 男子の基本路線は「かっこいいね」が有効でしょう。

 これは一番ではありません。なぜなら「かっこいい」が曖昧すぎるからです。

 ですから、少しスパイスが必要です。

「力強い」とか「伸び伸びしている」とか「筆圧が良い」とか。

 男子の場合、一番の問題点は、そもそも「字がきたない子が多い」ことにあります。汚い字を綺麗とは言えませんから、どうしても違う視点が必要になります。綺麗さに注目するのではなく、それ以外の部分に価値を見いだし、同時に心を解放してゆくのです。

 

 最後に共通の共通路線です。

「先生は、君の字が好きだなあ~」と伝える事です。

 これは男女問わず、誰にでも効果があります。

 君の字が好きというメッセージは、君のことを先生は見ているよというメッセージだったり、君のことを先生は良いと思っているよというメッセージにもなるわけです。

 さらに、具体的に「この字のここがいいね!」なんて言うことができるなら、それはすなわち、そこまで見ているというメッセージになるわけですから、子どもたちにとってもれば、自分は先生に超見られている(=愛されている)となるわけです。

 

効果ではない

f:id:Nayunayu:20211227000527j:plain

 効果的で、やや具体的な方法を書きましたが、最後にお伝えしたいのは、効果を期待してやるのではないということです。期待はダメなんです。

 もう、ややこしいですね。

 最初から文章を眺めてみると、「綺麗に書くために」と言いながら「綺麗は問題ではない」と言い、「丁寧さ」などが問題で、そのための「心」と言います。そして具体的は方法と効果があるよなんて言っておきながら、最後には「方法じゃない」というのです。そんな矛盾だらけの説明をするのには理由があります。

 

 最後は「効果を求めて指導するのではない」領域があり、それは即ち文字指導1つとっても「自己肯定感を育てる」ということになっているということです。しかし、そこに至るためには順を追って知る必要があり、一つ一つを自分で実践していく必要があるのです。いきなり最後の領域にはなかなかたどり着けないし、理解も難しいからです。

 

 例えば、少年団活動は「勝つこと」を目指すのではなく「人間育成である」というのが指導者の基本理念ですが、勝たせることができる人が言うなら納得できます。しかし、勝たすことができないのなら、それは詭弁でしょう。

 例えば「私は怒らない。怒るのは悪い指導である。」と言う人がいたとしましょう。それも同じように「怒る指導」ができる人がやらないから意味があるのです。怒りという感情を使いこなせる人がそれを使わないから効果があるのです。それを「怒るのは悪だ」と決めつけて、使わないのは、使わないのではなく「使えないだけ」です。

 

 同じように、効果的な指導も、できるようになるまでが大切で、できるようになったのなら、効果的かどうかは問題ではなくなります。あくまで、子ども達の生き生きした表情や力強い生き方を支える「自己肯定感の育成」にシフトしていくことになります。文字指導は自己肯定感の育成の一端にすぎず、あらゆるジャンルで、全ての指導で「自己肯定感」を育むという視点になりますから、方法論は求めなくなります。

 

 自己肯定感を育てるが本道であり、その入り口は無数にありますので、このことを知っておくと様々な場面で応用できるはずです。