Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

どうして勉強しなくちゃいけないの?

 子どもって、大人が困るような質問をすることがあります。

 その中のひとつ「勉強」についての記事です。

 同じような質問をされたことがある人は多いと思いますので、私なりの解が何かのお役に立てればいいなあと思って書きますね。

 

1 どうして勉強しなくちゃいけないの?と質問する子

 私が小学生だった頃、我が家では一度たりとも「勉強しなさい。」とは言われませんでしたし、学校でも宿題はでませんでした。家庭学習をやっている友人はいましたが、私はやらなかったし、周りの大多数も家庭学習よりも外で遊んだり、少年団活動をしていました。そう言う時代です(40年前)。

 中学生になり、中間や期末テストというシステムになると、さすがに勉強するようになりまして、その時、やっぱり私自身も考えたことが「勉強って何の役に立つのかな?」という初々しい?疑問です。「どうして勉強しなくてはならないの?」ではなく「この勉強は何の役に立つのだろうか・・・」という問いです。

 それは大人の姿を見て、必要なのか必要ではないのかを確認する作業だったように思います。なんだ、お父さんもお母さんも英語なんて使っていないじゃないか・・・みたいな感じだったように記憶しています。

 やがて「とりあえず高校受験に使うから勉強は必要だね。」ということに落ち着きますが、そもそも私は勉強自体は好きだったので「どうして勉強しなくちゃいけないの?」という問いはなく、逆に「どうして勉強しないの?」という問いだったのです。

 教師になると「どうして勉強しなくちゃいけないの?」と聞かれることがあります。これに対する私なりの解は、子どもの実態によります。

 めちゃめちゃ頑張っている子には

「その勉強は役には立たないかもしれないけれども、可能性を広げるためにあるのだよ。」みたいなことを言います。

 ただやりたくないという子には

「まずは勉強をしっかりやってみてから言って。」と言います。

 そして、たいていの場合「どうして勉強しなくちゃいけないの?」と聞く子は、その答えを知りたいのではなく、ただ「私は勉強したくないの!」と言いたいだけですから、本当に聞かなくてはならない質問は「どうして自分は勉強したくないんですか?」とか「勉強を全くしないで生きていくことはできますか?」とかでしょう。

 質問されたことに対して本当のことを教えることも大切ですが、その子がどうしてそのような質問をするのかということを見極めて答えることが大切ですね。

 

2 勉強の理由 

 本質的なことを言うのなら、勉強というのは「やらなくてはいけない」ような小さなことではないのです。勉強できることがありがたいことであり、勉強できる環境を使うのか、使わないのかという生き方の問題にも繋がります。

 勉強と同じような言葉に「学ぶ」がありますが(勉強よりも上位概念かな?)、人ならば「学びたい」「知りたい」というのは本質のひとつであり、人だけに備わった能力なのです。

 さらに、学べるのは先人達が開拓した膨大な知が残っているからであり、そのおかげで文化的に恵まれた生活ができているのです。そこに「感謝」の問題もちらほら隠れています。

 勉強しなくても生きてはいけます。字が読めなくても生活できます。高校に行かなくても働き先はあります。でも、知っていることが多いと、楽しいことや嬉しいことが増えます。

 例えばサッカーの試合を見ることは誰にでもできますが、サッカーのルールを全く知らない人が観れば、何をしているのかさっぱり分かりません。つまり楽しめない。

 

3 まとめ

 勉強にはいくつもの側面がありますが、それは「しなくてはいけないもの」ではなく、「することができる」というものであり、それは人生をどう過ごすのかという問題です。

 ただ、どこまで深く伝えるのかは相手の状態によりますから、低学年にそんなことを言っても分かりません。その子の状態や学年の発達段階などを考慮して伝えると良いでしょう。