Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

目に見えている問題は全て波生物である

 生きていれば、誰でも問題を抱えているものです。人ですから。

 しかし、見えている問題だと思っている事柄は、全てと言っても過言ではないくらい根本原因からの波生物です。根本原因である問題点もまたその根本からの波生物ではありますが、要はどこまで深く潜れるのかというお話をします。

 ただ、少し書くことを躊躇しています。怒られそうだからです。

 ですから、怒りっぽい人はここで引き返してくださいね。気分を害して終わりになることは保証します。まだ読む時期では無いということです。本当のことって、だいたい評判悪いですから・・・。

 

目に見えている問題1~生理用品難民問題~

 たいして気にしていませんでしたが、少し前に「生理用品難民」という言葉を耳にしていました。生理用品を買えない家庭があるため、公共施設に常設して支援しましょうというような内容だったような・・・。

 たいして気にはしていなかったんですが、先日テレビで見る機会があり、せっかくだから視聴してみました。報道日本賞というのにノミネートされたのかな?ドラマ仕立てですが、ドキュメント番組のように作られている優秀な作品だということでした。

 話の内容は次のような感じです。

 舞台はオランダで、あるシングルマザーの家にいる高校生が主人公です。その家庭は生活困窮状態であるため、生活物資を支援してもらい、生活そのものが大変です。主人公の娘は、とてもいい子で、お母さんのサポートをしたり、妹の面倒を見たり、生活物資をもらいに行ったりしています。自分も苦しいことは誰にも言わず、明るく高校生活を過ごしているけな気な子です。

 ある日、お母さんに生理用品を買ってもらいたいと言おうとしますが、お母さんは負債関係の電話中で、言い出せません。言おうとしたんですが言い出せないのです。それで自分でなんとかします。代用品や使い回しまわしをしたりと・・・。

 でも、ずっと気になっているので、お母さん、妹、自分の3人で買い物に行ったとき、スーパーで生理用品を見て、買って欲しそうにします。が、そこでも言い出せず、結局スーパーを後にします。

 その後、事件は起きます。体育の授業中に血がにじんでしまうのです。それを同級性に指摘され、慌てて体育館を後にします。そして放課後、スーパーに行って、生理用品を万引きしたところを見つかってしまいます。

 物語の最後のシーンでは、迎えに来たお母さんが

「あなたは悪くない」と娘を抱き寄せます。娘も「ごめんなさい。」と涙を流す感動的な描写で締めくくります。強調するためにテロップでは「オランダでは、10人に1人が生理用品を買えない状態です。」と紹介されます。

 スタジオに舞台を移し、コメンテーターがコメントします。

「・・・まるでドキュメントのようで、・・・深刻な問題ですね。」と。

 貧困が問題で、生理用品すら買えないのが深刻という意味でしょう。

 馬鹿げてます。

 たしかに貧困は問題です。貧困の根本源もありますが、それは横に置いておいて、その報道番組で言っている「生理用品も買えない」という問題についてだけに焦点を当ててみます。きっと、怒り出す人もいるでしょうけれども、あえて本質的なことを指摘しますね。

 本当の問題は「お母さんに言えない」ということです。

 これを、お母さんに気を遣ってとか、家のことを考えてなどと美しい言葉で誤魔化してはいけません。もしそうなら、気を遣う子に育てているということに他なりません。

 一番気を遣わないでよい存在が親であるはずなのです。・・・本当はね。

 親なら子どもに気を遣わせていることが判明したら反省するでしょう。

 ですから、一番最後のシーン、お母さんの「あなたは悪くない」という言葉はその通りで、その意味は「気づいてあげられなくてごめんね。」か、もう少し深く行くと「気を遣わせてしまうようにしてしまった私が悪いのよ。」になります。

「万引きは仕方なかったね。」ではないのですが、番組の構成上、そのような趣旨に受け取られそうでした。また、「万引きするほど困窮している」という問題も問題点のすり替えです。そもそもの問題は生理用品が買えないことではなく、それを言い出せないというところにあるのです。生理用品難民問題は、本当の問題「家でのコミュニケーションが不全に陥っている」という問題の波生物なのです。

 

目に見えている問題2 ~詐欺事件~

 詐欺というのは、人を騙して何かを奪うことです。

 これは犯罪ですから、法的にも駄目で、処罰の対象です。

「オレオレ詐欺」というのが流行しはじめて何年も経ちますが、あれだけ予防のための啓蒙をしているにもかかわらず、なくなっていません。「結婚詐欺」もなくなっていないし「投資詐欺」もなくなっていません。

 それで「けしからん!」ということになり、逮捕されますが、逮捕しても次の詐欺師と次の被害者が現れます。たぶん大昔からなくなっていないでしょう。

 目に見えている問題は、詐欺を行う加害者と詐欺に遭う被害者ですが、今回のテーマである「それは波生物である」という観点から指摘します。

 たぶん怒り出す人もいるでしょうけれども、あえて、詐欺がなくなってほしいから指摘します。

 本当の問題は「騙される自分がいた」ということです。

 なぜ騙されるのかというと、そこに「欲」が絡んでいます。オレオレ詐欺は「心配する良心を利用されたんですよ!!」と叱られそうですが、あえてそこも壊します。「なぜ心配なのですか?」と。そこには「自分が助けなければ・・・」があり「自分の子だから・・・」があります。そして我が子は「自分のもの」という所有欲があります。さらにオレオレ詐欺にひっかかるというのは、我が子と連絡を密に取れていない人が多いです。さらにさらに「メサイヤコンプレックス」という隠れた自分の問題もあります。

「結婚詐欺」だって、結婚したい欲を逆手に取られています。

「投資欲」は、お金儲けを楽にしたいという欲。

 欲がなければ、騙されるということはありません。騙される人がいなくなれば、騙す人もいなくなります。騙すのが無理ですから。

 豊田商事事件を知っている人は、だんだん少なくなってきたでしょうけれど、これも詐欺事件です。概要は簡単に言うと「金を買うといいですよー」ってことで高齢者に売ったんですが、現物は渡さずに「証券」を発行。金は持っていなかったということがばれちった事件。

 もちろん豊田商事は悪徳商法ですから問題です。

 しかし、高齢者達は「老後のことを心配して」という口実のもと、完全被害者になっています。違います。老後に良い生活をしたいという欲があったのです。事件としては、その手口として親身に接するということもしていますから、情につけ込むということもしていますが、すべての高齢者が騙されたわけではありません。

 特集番組では、なんとか資金の一部を回収することができたので、それを騙された人に一部ではあるけれども返金することに成功しており、その様子を映像で流していました。ここで私が驚いたのは、受け取りに来た高齢者の方々が、みんな自分の顔を手で隠して返金を受け取る姿でした。「騙された自分が恥ずかしい」という想いがあったのでしょう。私はこれを「美しい」と思いました。現代社会だとどうなんでしょうかね?

 

目に見えている問題3 ~統一協会問題~

 宗教がらみのことは、相当怒る人がいそうですから、本当は書きたくないのですが、あえて踏み込みます。

「統一教会が悪い」ということにしたがっていますが違います。

 本当の問題は「統一教会に群がっているエゴ集団」です。

 統一教会で救われた人もたくさんいるはずなんです。

 宗教というのは、どの宗派であっても同じように、だれかを救おうというのが本来の趣旨で、それが組織になったときに歪んでいく宿命を帯びています。

 ですから、良くも悪くも、救えているか救えていないかは別問題として、統一教会が悪いのではなく、そこに群がったという事実が問題なのです。

 だいたいね、歴史を見ても、力のあるところに人は群がるのです。

 ある中国(だっけな?)の寓話では、ある青年が大金持ちになったらたくさんの人が集まってきて、無くなったら誰もいなくなり、その青年が「お金なんて!」ということに気づき、仙人になるための道を選ぶというものがあります。

 寓話というのは作り話ですが、世の中の本質的なことを理解させるためにあります。今、統一地方選挙が近いということで、どの議員も「統一教会とは距離を置く」みたいなことを宣言しているようですが、当選を目指すアピールに過ぎません。そして、「そんなに清い議員なら票を入れようかな?」と考えるのも愚直としか言いようがありません。統一教会に協力してもらおうとすることも、統一教会は関係ありませんとして協力してもらおうとすることも、統一教会を利用しているということに変わりはないのです。同じことを違う角度からしているだけです。

 うーーん。怒られそう・・・。

 統一教会が何をしているのかを具体的に知っているわけではありませんが、あれだけ多くの人たちが集まったという事実をもう少し見た方が良いのではないでしょうか。集まるには、集まるだけの理由があるのですから。

 

まとめ

 問題だと思っていることは、自分の解釈にすぎません。

 自分が問題だと解釈していることを他人や環境のせいにするのは正しくありません。良いとか悪いではなく、正しくないのです。

 もし問題を他人や環境のせいにした場合、一時的にはすっきりするでしょうけれども、そういう効果はあるでしょうけれども、同じような問題がまたやってきます。違う問題に見えるかもしれませんが、同じような種類の問題があなたの前に現れてくれます。それに気づくまでは続きます。

 最初の「生理用品難民問題」だと、そこが解決したら「ちがう物資の難民問題」としてクローズアップされるかもしれませんね。

 次の「詐欺問題」は、本質的になくなりません。世の中の全ての人が騙されないようになるのは、私の理解ではほとんど不可能ですから繰り返すしかないでしょう。現に、手を変え品を変えて詐欺は続いていますから。ただ、気づいた人から騙されなくはなります。

 最後の「統一協会問題」は、そもそも何が問題なのかがはっきりしません。宗教がらみは相当複雑なので、エゴの理解が必要だから説明しきれないのです。それでも説明しようとするのなら、本にして3冊ぐらい必要な量になります(それ以上かな)。

 人は誰でも問題を抱えているものです。

 問題を抱えているという解釈をしているというのが正しいのですが、現実問題としては「問題を抱えている」でいいでしょう。もし、その問題を本当に解決したいのなら、目に見えることに翻弄されず、なぜその問題が発生しているのかという根本を探ってみてください。どこまで深く潜れるかは、自分の覚悟次第です。