Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

名作「大造じいさんとがん」の授業

 5年生の国語教科書にある物語文「大造じいさんとがん」は、名作です。教科書の掲載される物語文は、色々変わりますが、この「大造じいさんとがん」は、一度も教科書から姿を消したことがありません。なぜなら、名作だからです。これほど手厚く保護されている物語文は、他に「ごんぎつね」ぐらいでしょう。

 たまには授業の進め方も記事にします。教育ブログですから・・・。

 

1 かりゅうどたちは、残雪をどのように思っていますか?

 発問です。質問ではありません。

 発問とは、先生が答えを知っているのです。

「かりゅうどたちは、残雪をどのように思っていますか?」

 すると、教科書に書かれていますから、答えが出てきます。

「いまいましく思っている。」「かりの邪魔をしている。」「利口な奴。」「がんの頭領らしい。」などなど。

 教科書に書かれていることから読み取るのは基本です。ここから深く潜ります。

「狩人たちから、一目置かれてもいます。どこから分かるでしょう?」

 すると、頭がいいとか、仲間思いとか、油断ないとか、とにかくすごいんだというところに目が行きます。子ども達から答えが出れば、なお良いのですが、子どもの力では限界があるときは、教師から提示します。

 すぐに教えないで、考えさせてから教えるのがポイントです。

「正解は、残雪という名前そのものにあります。」

 ・・・子ども達がきょとんとしたら、すぐに説明はしません。少し考えてもらいます。それで、誰かが気づけばそれを採用しますが、それでも出ない場合は、教師が教えます。

「残雪という名前は素敵な名前でしょう。あいつは嫌な奴だ!となっていれば、白い混じり毛のあるがんなんだから、「混じり毛」という名前にしても良さそうです。ところが、「残雪」だなんて、かっこいい名前をつけている。そこに、一目置いている狩人たちの心が反映されているんだよ。」と。

 

2 読解力を高めるために教材文がある

「大造じいさんとがん」は名作なのですが、「大造じいさんとがん」を勉強しながら、読解力を高めることを授業ではねらいます。つまり、教材文はあくまで力をつけるための道具であり、「大造じいさんとがん」は、そのねらいを達成するためにも大変良い教材文だということです。

 そういうことも意識しながら授業すると良いでしょう。

 物語文というのは、児童文学を採用します。

 児童文学ですから、児童が一人で読んだとしても、ある程度理解できます。

 でも、児童の力では読み取れない箇所があるのです。

 そこを授業で取り上げることで、深い読み取りに繋がります。

 児童が最初に読んだときと、授業が終わった時では、読み取りの深さが変わっている、あるいは、前よりもその物語文が好きになってしまったという状態を生み出すことができたのなら、授業としては成功です。

「先生が授業する前は好きだったのに、授業をしたら嫌になっちゃった!」という状態は避けなければなりません。

 

 他にも、語彙力の獲得とか、情景描写の読み取りとか、文法的なこととか、国語力にはいくつもの側面があります。それらを「教材」というものを通して、道具として活用して教えるというのが基本になります。

 

まとめ

 めずらしく教師っぽいことを記事にしてみました。

 教育ブログなのに、このような記事が少ない理由は、このような内容は教育の専門書を読めば書いてあるからです。ということで、私としては、書いていても、たいして面白くはないのです。

 でも、最近、このような記事も必要なのかもしれない。私が新人だったら、このような記事が好きだっただろうな~ということで書いてみました。

 要は、教育技術の具体的な内容。

 これを求めていた時期がおおよそ10年はありますので・・・。いや、もっとかな?

 最近の教科書には物語文が少なくなりました。

 でも、有名な教材文はいくつかあります。

「かさこじぞう」「川とノリオ」「きつねのおきゃくさま」「モチモチの木」「おにたのぼうし」「雪わたり」など、実践例がたくさんあります。担任を受け持ったときの学年に出てくる「物語文」は、じっくりと勉強することです。すると、数年間である程度は網羅できます。そして網羅できる頃には、何となく物語文の教え方みたいなのが理解できるようになっています。

 もうすぐ今年度が終わります。

 新年度に向けて、気持ちを新たにしている人も多いでしょう。

 これから、教育技術的な内容もお伝えして応援しようかな?と考えています。

 本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。