Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

送別会の作法

 昨日は送別会でした。コロナが一段落したようで、ようやくそのような会を気兼ねなく開けるようになりました。

 送別会とは、お別れする職員に感謝の気持ちを伝えるべく開かれる会です。

 ですから、その作法について、少し思うことがあって書くことにします。

 いいな~と思ったことが2つ。

 これはどうなのかな?と批判的なことが2つです。

 

1「これはいいなぁ~」と思ったこと

 1つ目は、何を差し置いても、送別会なるものが開催されたことです。

 ここ数年は、職員室でお弁当を食べて終わりにするみたいな感じでしたが、きちんと場所を取って、みんなそれなりに服装を整え、食事やお酒を交えながら、これまでの感謝の気持ちを伝える。旅立つ人も、見送る人も、直接その想いを伝え合うような場がいいなぁ~と思うのです。

 わざわざ時間を設けることの重要性。

 特別な催しの必要性。

 場所を設けることで発生する気持ちが通い合う必然性。

 別れを惜しむための時間、これまでの思い出を語る時間。感謝を伝える時間。それが送別会というものなのでしょうね。私は少し俯瞰して様子を見ましたが、みんなが笑顔で騒がしかったです。普段は騒がしいのは嫌いですが、このような会での意味のある騒がしさは嫌いではありません。

 2つ目は、料理が美味しくて豊富だったことです。

 今回は居酒屋の大広間で行ったのですが、全ての料理が美味しく、そして食べきれないほどの量が出てきました。

 私は食べ残すのが嫌いですから、普段は食べきれる量を推奨する立場ですが、送別会は華やかさみたいなもの、食べ物には失礼かもしれませんが、食べきれないという花が必要だと思うのです。

 今回、お世話になった居酒屋さんは、送別会だということを理解しているのだと思います。まあ、それなりの金額を支払ってはいるのですが、それにしても心のこもった料理だったなあと思うわけです。

 昨年度は、ホテルで送別会をしました。費用はホテル使用料もありますから仕方ないのですが、今年度よりも高かったです。でも、料理は・・・。

 

2 これはどうかな?という批判

 批判というか、残念というか、まあ個人の自由ではあるのですけれども、どうなのかなぁ~という事。

 それが送別会への欠席です。

 まず、送別される人が、1人欠席です。

 その人は、かなり手のかかる子でして、多くの人たちに多大な迷惑?というか、お世話を受けた子でして、参加したくない気持ちは分かるのですが、せっかく準備をしている人たちの気持ちを台無しにしています。

 参加しないという話を聞いて、私が職員会の会長ということもあり、参加を促してほしいとお願いされました。個人的には、参加の有無については個人の自由ですから、参加したくないのなら仕方ないという立場ですが、これからのこともあるので、一応理由を聞いた上で、一言添えました。

「参加したくない気持ちは分かったよ。でもね、君は随分みなさんにお世話になったでしょう。送別会というのは、送別される側が、送別する側に感謝の気持ちを伝える場でもあって、それも仕事のうちなんだよ。今回の職場だけじゃなくて、これからも、そういう場はあるはずだから、今日の暮会(仕事終わりに職員室で行われる簡易的な打ち合わせの場)で、みんなにお世話になったということをきちんと伝えるんだよ。君だけのために、わざわざ花束とメッセージカードを用意しているからね。」と。

 

 2つ目も送別会の欠席です。

 送別する側の欠席者が3名いました。

 何か特別な用事があるのなら仕方ないでしょう。・・・親が死んだとか。

 送別会というのは、あらかじめ日にちが決まっています。少なくても1ヶ月前には周知されています。ですから、本当に突拍子もない事態が起きない限りは、予定を最優先にしてもよろしいかと思うのです。

 今回の欠席者3名は、職場ではベテラン層で中心的立場にいる人たちでした。

 その中の1人に、何気なく「今日は泊まりですか?」と聞きました。遠方から通勤しているため、会への参加は、泊を伴うか、飲まないで帰るかしかないからです。

 すると

「いやぁ~、今日は行けないのさ。」

と言うので、何か重要な案件があるのかな?とは、実は思っていませんが、一応「何かあったんですか?」と聞いてみました。すると、

「家のが(奥さんのこと)調子悪いから、家に居てあげた方がいいのかなって。」

と言うわけです。

 ただの口実です。奥さんは別に調子悪くありません。そして、もし本当にそうであっても、奥さんが調子悪くて心配ならば、毎日早く帰宅するということが起きているはずですが、それも起きていません。ですから、ただの口実なんです。

 要は行きたくない。私は、それも個人の自由であるという立場ですが、その方は普段は職員の和みたいなものを大切にしているような言動をしていますし、それなりの立場にいます。普段言っていることと、行動が矛盾しているということに気づいていないということが残念なのです。

 

 送別会というのは、強制でも参加しなくてはならないものでもありません。

 でも、そのような個人の判断が許されている場だからこそ、個人の考えや価値観、大切にしている想いが見えやすいのです。

 

ご縁に感謝しつつ「じゃあ、またね!」

 出会いと別れは表裏一体であり、卒業式と同じように、出会ったのなら別れるはセットで確定しています。

 私もかつての職場を後にしたから、今の職場の人たちと出会うことができたのです。そして、出会いはすべて「何かのご縁」らしく、全ての出会いには意味があると言います。それがどんな意味なのかは分かりません。でも、どんな意味をもたせるかという選択はできます。

 私にとっての送別会とは、かっこ良く言えば「感謝を伝える場」であり、かっこ悪く言えば、「出たくなかったとしても礼儀として必要」なんです。

「じゃあ、またね!」

という軽い感じが好きです。「またね!」の部分が特に好き。

 送別会シーズンですが、みなさんの周りはどうでしょうかね?

 コメント欄で交流できるといいですね!