Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。

 誰が言ったのかは知りませんが、心理学界では有名な諺のようです。

「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。」

 これが、様々な場面で共通して起こります。

 では、どうしたら飲むのかというお話をします。

 今回の記事は以下の通りです。

1 どうして飲まないのか。

2 無理矢理に飲ますことはできる。

3 自分から飲むための唯一の方法。

 今回の記事を読めば、教育に関することも育児に関することも、ある程度応用ができますので、お役に立てると思います。また、自分がなぜ飲まないのかという理解にも繋がると思います。では・・・。

 

1 どうして飲まないのか

 めちゃめちゃ簡単な理由です。

 飲みたくないからです。

 それはつまり、飲む必要性を感じていないからです。

 馬と水なら分かりやすいのですが、これがありとあらゆる場面で起こっています。運動しない、勉強しない、規則正しい生活をしない、読書しない、考えない、お手伝いをしない・・・などなど、本当にあらゆるところにあります。

 その理由もまた、同じ現象ですから簡単です。

 したくないからです。

 しなくてはならないと思っていたとしても、したくない。

 したくないから、しないのです。

 もう、本当に、ただただ、・・・どうしようもないけど、それだけです。

「時間がなくてね~」とか「やろうと思ってはいるんだけどね~」とか「明日からやろうかなって、昨日も思ってたんだけどね~」とかの理由はすべて口実です。

 さらに、自分はやっていないのに、「子どもが読書をしない」とか「家庭学習をやらない」とかは、自分は変わらないで他人を変えようとしているのでタチが悪いと言わざるを得ません。

 

2 無理矢理に飲ますことはできる

 馬には無理矢理飲ますこともできません(本当は)。

 ただ、誤魔化すことはできます。

 おいしー水を用意すれば飲むかもしれませんね。

 あと、飲んだらめちゃめちゃ美味しい餌をあげるとか・・・。

 頭をなでなでするという条件反射理論を活用するとか・・・。

 それから、飲まないとムチで叩き続けるとか・・・。

 

 ・・・実は、これを多くの人はやっています。

 怒るというのが手っ取り早いですが、ご褒美作戦も効果が絶大です。

 褒めまくるということも、叱咤激励するということも、情に訴えるということも有効ではありますが、馬に当てはめてみると、やっぱり同じようなことをしているのです。

 一時的に「飲ます」ことはできますが、継続となるとかなり怪しい。

 本当は自分から進んでやっている状態が望ましいはずですが、上記の方法は、遠ざける結果となりますし、もし仮にある程度継続できたとしても、かならず副作用があると思って、まず間違いありません。なぜなら、やりたくないのにやらされているからです。たとえ、そうは見えなくても、自ら進んでやっていないのなら、何らかの形で副作用がでます。

 

3 自分から飲むための唯一の方法

 馬を水辺に連れて行くことができます。

 ですから、共に歩いていくことです。愛情をもってね。

 そしたら、待つことです。

 だんだん、のどが渇いてきますので、勝手に飲みます。

 喉が渇いて、そこに美味しい水があるのなら飲みます。

 基本的な考え方は、これが全てで唯一の方法です。

「連れて行くこと」と「待つ」こと。

 これを「見守る」という表現にしても、同じようなことです。

「北風と太陽」というお話が有名ですが、それも同じような現象を説明しています。無理矢理脱がそうとすると、かえって脱がない。太陽で温めると勝手に脱ぐ。強制して無理矢理なのか、温かく見守って自主性を促すのかということを示唆しているわけです。

「そんな悠長なことを言っていたら、ゲームばっかりやって、勉強なんて、一切やりませんよ!」とお怒りの声が聞こえてきそうですね。その場合はですねぇ~・・・次の手順で進めてみてください。

1 ゲームは基本的に取り上げます。

2 お手伝いをさせて、たくさん感謝します。

3 お話をいっぱいします。

4 どんな話でも肯定的に聴きます。または気持ちをたくさん聴きます。

5 親が勉強する姿を見せます。

6 勉強しなさいという言葉は使いません。

7 食事と睡眠と運動の規則正しい生活を心がけます。

8 我が子がやろうとすることを邪魔しないと心がけます。

9 親は自分のきまぐれで感情をぶつけることをやめます。

10 過保護、過干渉、ネグレクトの正しい理解をします。

 これだけそろえば、子どもは必ず自分なりに勉強をはじめます。

 以上のこと全てができるのなら、親は子どもにとっての太陽そのものです。子どもの心はあたたかく、ポカポカしてきます。エネルギーも充足するので、何かやりたくてうずうずします。

 これはね、子どもを変えようとしているのですが、その前に自分が変わろうとしているのです。自分が変わった結果、子どもが変わるのです。

 人は誰でも「知りたい」「学びたい」「もっとよくなりたい」という本能を備えています。エネルギーが枯渇して、それらが発動していないだけなのです。それを「したくない」と表現しているにすぎない。

 自主的に「飲む」ための唯一の方法は、接し方を正しくするということです。

 

 さあ、私は、この記事を読んでくださった人を水辺に招待しました。

 ・・・飲むでしょうか。

 ・・・私には飲ますことはできません。

 そういうものです。